「ゾマホン・ルフィン」の版間の差分

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母国であるベナン共和国はかつて[[フランス]]の植民地で、現在{{いつ|date=2014年1月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->も[[公用語]]はベナンの現地語ではなく[[フランス語]]である。しかし、ベナン全国民の70%以上はフランス語が出来ない。それは彼らが学校に通った事がない、または通い続けることができないためである。その識字率の低さこそがベナンの発展の遅れの最大の原因になっている。そう考えたゾマホンは[[教育]]の重要性を痛感し、当初は「日本とベナンの間の掛け橋になりたい」という理由で、私財を投じて母国ベナン共和国に日本語学校を設立しようとしていた。
 
しかし、ベナン北部のあまりの発展の遅れや初等教育が復旧していない現実に愕然とし、識字率を上げなくては[[日本語学校]]に通う学生もおぼつかないとして、小学校建設を決意した。同時期に河出書房新社から刊行していた「ゾマホンのほん」の印税の全てと、自身の[[アルバイト]]等の働きを通して得た私財を通投じて、2000年4月、[[ボルグー県]]コロボロルに「たけし小学校」を開校。この際、子供の働き手が失われるということで親達による暴動が起きたが、ゾマホンの「このままだといつまで経ってもこの苦しい生活から抜けられない」という説得に親達は理解し、結果的には、親達が学校の工事に手を貸すまでになった。
 
2001年4月には[[アタコラ県]]チチャクに「明治小学校」とボルグー県キカに「江戸小学校」開校。2003年9月にはコトヌー市に「たけし日本語学校」開校。