削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
4行目:
 
== 初代・朝寝房夢羅久 ==
{{落語家
| 芸名 = 初代 朝寝房 夢羅久
| ふりがな = あさねぼう むらく
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 里見 晋兵衛
| 別名 =
| 出身地 = {{JPN}}
| 死没地 =
| 生年 = 1777
| 生月 =
| 生日 =
| 没年 = 1831
| 没月 = 3
| 没日 = 1
| 師匠 = [[富竹宮戸太夫]]<br />初代[[三笑亭可楽]]<br />[[烏亭焉馬]]
| 弟子 =
| 名跡 = 1. 戸志太夫<br />2. 珍蝶亭夢楽<br />3. 新蝶亭夢楽<br />4. 三笑亭夢羅久<br />5. 初代朝寝房夢羅久<br />6. 笑語楼夢羅久<br />7. 朝寝房むらく
| 出囃子 =
| 活動期間 =
| 活動内容 = [[義太夫]]<br />[[江戸落語]]
| 配偶者 =
| 家族 =
| 所属 =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 受賞歴 =
| 備考 =
}}
初代'''朝寝房 夢羅久'''([[安永]]6年([[1777年]])(逆算) - [[天保]]2年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]([[1831年]][[3月1日]]))は、落語家。本名は里見晋兵衛。幼名を勝蔵。
 
江戸麻布一口坂の生まれ、質屋「伊勢義」を奉公した後[[義太夫]]の[[富竹宮戸太夫]]の門下で戸志太夫と名乗る。このころ流俗亭玖重(一説には玖蝶)の狂名また珍重という俳名を持っていた。
 
[[享和]]3年([[1803年]])に初代三笑亭可楽の門下で珍蝶亭夢楽を経て新蝶亭夢楽(一説には亭号はずっと三笑亭)。同じ可楽門下には初代の林家の始祖。怪談噺の元祖と言われる[[林家正蔵#初代|初代林屋正藏]]がいる。[[文化 (元号)|文化]]6年([[1809年]])[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]に夢羅久と改名し盛大に咄を催した。しかし勝手に改名したことから師匠と不和になり破門され、これを機に亭号を「朝寝房」と変えたと言われる。その後は[[烏亭焉馬]]門下に入って笑語楼夢羅久と名乗った。また文政以降は「朝寝房むらく」の名も見える。
15 ⟶ 45行目:
 
== 2代目 ==
{{落語家
| 芸名 = 2代目 朝寝坊 むらく
| ふりがな = あさねぼう むらく
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 日吉 善蔵
| 別名 =
| 出身地 = {{JPN}}
| 死没地 =
| 生年 = 不詳
| 生月 =
| 生日 =
| 没年 = 不詳
| 没月 =
| 没日 =
| 師匠 = [[入船亭扇橋#初代|初代船遊亭扇橋]]<br />[[烏亭焉馬]]<br />初代朝寝房夢羅久
| 弟子 =
| 名跡 = 1. 不詳<br />2. 初代立川金馬<br />3. 談志楼金馬<br />4. 2代目朝寝坊むらく
| 出囃子 =
| 活動期間 =
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 所属 =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 受賞歴 =
| 備考 =
}}
2代目'''朝寝坊 むらく'''([[生没年不詳]])は、[[落語家]]。本名は日吉善蔵。
 
25 ⟶ 85行目:
 
== 4代目 ==
{{落語家
『落語家奇奴部類』には「神田住 千歳屋小さん うかれぶしなぞく合を好クシ俗蒔絵師ナリ」とあるのが、このむらく(初代小さん)の前身であろうその頃の屋号は「千歳屋」で[[豊島寿鶴斎|初代豊島寿鶴斎]]の系統の芸人であったと推測される。
| 芸名 = 4代目 朝寝坊 むらく
| ふりがな = あさねぼう むらく
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 =
| 別名 =
| 出身地 = {{JPN}}
| 死没地 =
| 生年 = 不詳
| 生月 =
| 生日 =
| 没年 = 不詳
| 没月 =
| 没日 =
| 師匠 = [[春風亭柳枝 (初代)|初代春風亭柳枝]]
| 弟子 =
| 名跡 = 1. 春風亭小さん<br />2. 雁の家小さん<br />3. 4代目朝寝坊むらく
| 出囃子 =
| 活動期間 =
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 所属 =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 受賞歴 =
| 備考 =
}}
『落語家奇奴部類』には「神田住 千歳屋小さん うかれぶしなぞく合を好クシ俗蒔絵師ナリ」とあるのが、このむらく(初代小さん)の前身であろうそのころの屋号は「千歳屋」で[[豊島寿鶴斎|初代豊島寿鶴斎]]の系統の芸人であったと推測される。
 
その後[[春風亭柳枝 (初代)|初代春風亭柳枝]]の門下になり[[柳家小さん|春風亭小さん]]となった。[[1875年]]には雁の家小さんと改めた。その後さらに4代目むらくを名乗った。
 
生没年、本名等不詳。一説には[[1879年]]ころに死去したとも。
 
門下には[[春風亭柳賀]]、[[柳亭燕楽]]、[[柳家小満ん|柳家小まん]](のちの[[橘家圓蔵 (4代目)|4代目橘家圓蔵]]の門下の[[三遊亭桃生]])がいる。