「ティベリウス・グラックス」の版間の差分

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選挙の日、外出を控えるよう説得する従者を「アフリカヌスの孫で[[プレブス|平民]]の代表たる護民官である自分が臆病者と敵に罵られるわけにはいかない」と振り切り、ティベリウスは護衛に守られながら[[フォロ・ロマーノ|フォルム・ロマヌム]]に現れた。しかし投票の最中に暴動が勃発、ティベリウスは暴徒によって護衛ともども殺され、その遺体は[[テヴェレ川|ティベリス川]]に投げ込まれたという。
 
ティベリウスの遺志は、その10年後に護民官に当選した弟[[ガイウス・グラックス]]に継がれるが、元老院は彼をも「共和国の敵」と宣言し処刑を命令。ガイウスは追っ手が迫っていることを知ると、配下の奴隷に自分を殺すよう命令し、その生涯を閉じた。兄の死から11年後のことである。その後、[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]が政界に進出するまで、元老院の改革や平民生活の改善政策は一切行われることは無く、共和制ローマは混乱の時代を迎えた。
 
== 脚注 ==