「押坂彦人大兄皇子」の版間の差分
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4人の妃を、出自の貴さの順に並べ直しました。 |
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== 系譜 ==
主として『[[古事記]]』に拠る。
*妃:[[
**山代王(やましろのみこ)▼
**笠縫王(かさぬいのみこ)▼
**田村王(たむらのみこ、[[舒明天皇]])
**中津王(なかつみこ)
**多良王(たらのみこ)
*妃:[[大俣王]](おおまたのみこ。[[漢王]]の妹)
**[[茅渟王]](ちぬのみこ、智奴王
**桑田王(くわたのみこ、女性)
▲*妃:桜井弓張皇女(さくらいのゆみはりのひめみこ、桜井玄王。[[敏達天皇]]の皇女)
▲**山代王(やましろのみこ)
4人の妃が確認されるが、うち3人は押坂彦人大兄皇子にとって異母姉妹に当たる。
▲**笠縫王(かさぬいのみこ)
▲*妃:[[小墾田皇女]](おはりたのひめみこ。[[敏達天皇]]の皇女)
なお、『[[新撰姓氏録]]』左京皇別に敏達天皇の孫として見える「[[百済王 (皇族)|百済王]](くたらのみこ)」も彦人大兄皇子の子であることは確実だが、『古事記』に掲げられた系譜には見えないため、多良王(久多良王の久が脱落)や茅渟王と同一人に考える説がある。
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