「アンドレイ・グロムイコ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
48行目:
 
ブレジネフ政権末期からグロムイコは、古参閣僚として[[キングメーカー]]的な存在感を増すようになる。[[ユーリ・アンドロポフ]]政権の[[1983年]]からは[[:en:First Deputy Chairman of the Council of Ministers (Soviet Union)|閣僚会議第一副議長]](第一副首相)を兼任した。その後アンドロポフの死去([[1984年]]、2月)、さらには[[1985年]]3月の[[コンスタンティン・チェルネンコ]]書記長の死去と短命な政権が二期続いたことを受け、後継書記長の選出に当たってはゴルバチョフを強く推した。推薦演説に当たっては、ゴルバチョフを「この人物は若いが、鉄の歯を持っている」と評した。
===ミスター・ェ―ト===
グロムイコの別名に「ミスター・ェ―ト」なるものが存在するが、これは[[国際連合安全保障理事会]]のソ連代表や外務大臣時代、国際会議において、西側提出の議案、とくにソ連の不利益となる議案にグロムイコが容赦なく拒否権を行使したり、反対票を投じていたことから来たものである。(ェ―ト{{lang|ru|нет}}は、[[ロシア語]]のノーにあたる)グロムイコは特に[[国際連合安全保障理事会]]ソ連代表時代において、何度も[[拒否権]]を行使している。
 
<gallery widths="250px" heights="220px">