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戦後、[[1947年]]の[[第23回衆議院議員総選挙]]に[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]から[[東京都第2区 (中選挙区)|旧東京2区]]にて立候補し当選。以後当選8回。保守合同後は[[岸信介]]→[[川島正次郎]]→[[椎名悦三郎]]派([[交友クラブ]])に所属し、行政管理政務次官などを歴任する。[[反共主義]]の一言居士として名を馳せた。
 
金銭的には清潔なことで評判だったが、選挙に弱く、当選落選を繰り返していた。[[1972年]]の総選挙前には当時参議院議員の[[石原慎太郎]]に、鞍替え出馬を思い止まるよう手紙を出したと言われるが功を奏ず落選。政界を引退する。[[1973年]][[勲一等瑞宝章]]受章。
 
== 関連文献 ==