「国鉄C50形蒸気機関車」の版間の差分

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[[戦前]]は地方の[[旅客列車]]や小単位[[貨物列車]]など、軽量な列車の牽引に使用されたが、牽引力が比較的ある反面、重量があるため取回しは8620形より悪く、テンダーに設置された給水加熱器も不調で、簡略化した先輪の構造からか脱線も多かったため、乗務員には評判が良くなかった。そのため、[[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]]の増備とともに戦前の時点で第一線を退き、[[入換 (鉄道)|入換]]用となるものが多かった。
 
[[1933年]](昭和8年)6月時点におけるC50形の配置状況は、東京[[鉄道管理局|鉄道局]]28両([[田端機関区|田端]]、大宮、小山、桐生)、名古屋鉄道局37両(静岡、浜松、米原)、大阪鉄道局25両([[梅小路機関区|梅小路]]、[[明石電車区|明石]]、湊町、[[糸崎機関区|糸崎]])、門司鉄道局35両(小郡、行橋、[[直方機関区|直方]]、[[鳥栖機関区|鳥栖]]、[[早岐機関区|早岐]]、浦上、熊本、鹿児島)、仙台鉄道局11両(盛岡、福島)、札幌鉄道局18両([[小樽築港機関区|小樽築港]]、岩見沢、札幌)で、四国を除く全国に散らばっている。
 
[[1941年]](昭和16年)には、C501 - C505が軍の要請により[[廃車 (鉄道)#特別廃車|供出]]され、[[海南島]]に送られることになったが、都合により[[台湾]]に降ろされ、[[台湾総督府鉄道]]で使用された。[[太平洋戦争]]後にこれらを引き継いだ[[台湾鉄路管理局]]では'''CT230型''' ('''CT231 - CT235''') となり、入換用として[[1960年代]]末まで使用された。