「ジョージ・パットン」の版間の差分

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と言うものである。
 
1の方はどうやら事実であるらしい。しかも事実であるだけではなく司令部を移転するのにトラック30個中隊が必要だったと言うから、もし本当にこの時期にわざわざ司令部をパリに移転するためだけに連合軍の輸送能力を大きく削いだのだとすれば、職務怠慢としてもいいぐらいの重罪であろう。しかしより重要かつ深刻だったのは2ではないかと思われる。連合軍総司令官のアイゼンハワーは円滑に戦争を遂行するためには英国の意向を無視することができないなのが分かっていたため、モントゴメリーの第21軍集団の方により多くの補給物資を割り当てたというのだ。モントゴメリーは自分の第21軍集団に多く物資を回してもらえれば「戦争を終える事ができる程の一撃」をドイツ軍に与えることができると強弁していたのだ(この強弁が後の[[マーケット・ガーデン作戦]]となる)。
 
第21軍集団の方が優先順位が高かったせいと、補給物資が届かなくても進撃の速度を緩めなかったせいで、パットンの第3軍は文字通り動けなくなってメッツの目の前で「停止」してしまったのだ。パットンは常々「マーケットガーデン(モントゴメリーの第21軍集団主導で行われた作戦)に使用されただけの物資が第3軍に回ってきていたら戦争は12月までに終わっていた」と愚痴っていたが、そこまでうまく行ったかどうかは定かではない。