「前神寺」の版間の差分

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後に[[空海]](弘法大師)も巡錫している。このとき空海は2度石鎚山を登ったといわれる。当寺は、[[横峰寺]]とともに山頂の弥山に存在する石鉄権現の[[別当寺]]にあたり、東側の遥拝所でもあった。
 
[[江戸時代]]には[[西条藩]]主である[[松平家]]の信仰も集め松平氏は[[東照宮]]をまつり、[[三葉葵]]の寺紋を許した。本寺は里前神寺と称されることもあるが、これは[[海抜]]1500mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、本寺の神社部門が、[[明治]]の[[神仏分離令]]により分離独立し、奥前神寺と里前神寺ともに[[石鎚神社]]となり、当寺は廃寺となる。その時、本尊と権現像と僅かの寺宝は持ち出し、その後、[[1878年]]([[明治]]11年)に現在地に里前神寺が再興され、さらに今宮道の最終地点に奥前神寺が再興され、さらにロープウエイ開通翌年に山上駅の上の現在地に奥前神寺ができて移転され現在に至る。
 
== 境内 ==
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; [[7月1日]]からの10日間 山開き
: 6月30日午前7時に前神寺本堂前で柴灯護摩を催行後、開創以来脈々と受け継がれた三体の権現様と一緒に信者達はバスで石鎚山ロープーウエイ下谷駅に向かう。
: 午前9時ごろ下谷駅の後方広場で柴灯護摩を行い、ロープーウエイで山上駅へ上がり奥前神寺に到着後、権現様の御開帳が行われ午前10時頃には本日の行事は終了し、翌日の7月1日から10日は参拝者を奥前神寺で向かい入れる
: 7月1日から10日は、奥前神寺で朝夕5時より護摩が焚かれ参拝者を向かい入れる。この期間は志料で権現様の開帳を受けることができ、特別護摩も随時催行される。
: 7月11日午前6時に奥前神寺を出発した権現様と信者達はロープーウエイで下山。一方、前神寺を午前6時にバスで山に向かった信者達と下谷駅で合流後、白衣に身をかためた[[信者]]や[[山伏]]たち一行が[[法螺貝]]の音に[[仏]]の名を称えながら3つの唐櫃(からびつ)に入れられた権現像を担ぎ黒瀬峠を越え前神寺へ列をなし約20kmを歩いて帰る。途中、御旅所で待ち構えた一般信徒は拝戴を受ける。
 
== 交通案内 ==
; 鉄道