削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
37行目:
[[1992年]]にチェッカーズは解散、翌[[1993年]]から「藤井 '''郁弥'''」を「藤井 '''フミヤ'''」に改め、ソロ活動を開始した。解散当初、仕事が激減し、当時ロサンゼルス在住の[[屋敷豪太]]の誘いで渡米。同じくロス在住の[[鈴木賢司]]に選んでもらい、ギブソンのギター「B-25」を購入。これを用いて最初に作曲された曲が『TRUE LOVE』である<ref>日本経済新聞2013年8月23日「見よう見まねで作曲 大ヒット」</ref>。同年リリースしたこの曲が240万枚<ref name=MuMu>『[[Music Museum]]』2000年7月5日放送・ゲスト:藤井フミヤ</ref>、[[1996年]]リリースした『Another Orion』が120万枚<ref name=MuMu />を超えるセールスを記録した。
 
歌唱力を武器に歌手活動を行う傍ら、「'''FUMIYART'''('''フミヤート''')」名称で個展を開催したり、[[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]の名古屋市パビリオン『大地の塔』をプロデュース(世界最大の万華鏡としてギネスブック認定)したりと、幅広く活躍する{{要出典|date=2016年6月}}。数多くのテレビドラマにも出演。
 
楽曲提供では、[[猿岩石]]への『白い雲のように』(作詞。作曲は弟の尚之)や、[[MISIA]]への『星空の片隅で』(作詞・作曲)などがある。[[吉川ひなの]]の『ハート型の涙』を始めとする4曲では楽曲プロデュースも兼任している{{要出典|date=2015年11月}}。
49行目:
2007年に第62回[[神宮式年遷宮]]の奉賛曲「鎮守の里」を作詞・作曲した。シングル「君になる」に収録されている。伊勢市に3日間滞在し[[宇治橋 (伊勢市)|宇治橋]]のそばの[[五十鈴川]]の河原で作曲した<ref>[http://iseshima.keizai.biz/headline/166/ 伊勢志摩経済新聞 2007年4月18日 式年遷宮奉賛曲「鎮守の里」収録CDを発売-藤井フミヤさん]</ref>。
 
2008年の大晦日に行われた[[日本武道館]]でのカウントダウン・ライブで、[[チェッカーズ]]時代と[[F-BLOOD]]名義、そしてソロを含む通算公演回数が、[[矢沢永吉]]と歴代1位タイの102回になった{{要出典|date=2016年6月}}。それを受け、「音楽を始めたきっかけが(矢沢を擁する)[[キャロル (バンド)|キャロル]]だったので、その矢沢さんと武道館のステージに立った回数が並んだ事はすごく光栄です」と語っている。
 
[[2011年]]10月15日に開催される『Setting Sun Sound Festival〜in Amami〜vol.2』に出演。
64行目:
*[[2009年]][[7月22日]]の[[日食]]を見に行くため、[[屋久島]]へ行く。半年前から計画して万全の態勢で行ったものの、曇りで直接見ることは出来なかった。また、屋久島環境保全のための修繕費用として、売上げの一部が寄付される「屋久島Tシャツ」をデザインした{{要出典|date=2015年11月}}。
*[[アート]]については、ラジオ番組で、パリの個展を実績をかたり自らの経験や知識を示し、第一線で活躍する[[コンテンポラリーアーティスト]]である[[ダミアン・ハースト]]の「牛の親子を真っ二つにした作品(Mother and Child Divided)」を挙げて、番組のゲストであった[[土岐麻子]]にその印象、関心もしくは評価を尋ねるなど、関心の高さを伺わせている。同時に、「自分が他人に何で勝てるかと考えたときに、(フミヤートではなく)音楽しかないという結論に至った」としている。加えて、「アートに関心を持っても、その作品そのものが自宅に入り込むことは無いが、音楽であれば(たとえCDやラジオであっても)本物が生活に入ってくる。加えて、音楽は繰り返し鑑賞してもらえるから、アートより強く理解される」という、音楽優位の考えを述べている<ref>Francfranc Scenario F、2010年1月3日</ref>。
*[[落語家]]でタレントの[[桂小金治]]とは、藤井と同い年の小金治の次男と親交が深かったことで家族付き合いの関係があり、藤井は小金治を「東京の親父」と慕っていた{{要出典|date=2016年6月}}。小金治も藤井のファンとなり、藤井の代表曲『TRUE LOVE』を[[草笛]]で演奏するほどだった。なお、小金治の[[葬儀|告別式]]では藤井が弔辞を読んだ{{要出典|date=2016年6月}}
*『[[ナインティナインのオールナイトニッポン]]』のノベルティ「ナイナイバッジ」と「ステッカー」で使用されているデザインは藤井によるもの。当時、藤井が番組にゲスト出演した際、コンピューターグラフィックスでのデザイン制作に興味を持っているという話をし、ナイナイの二人が「作ってください」と頼んだどころ、実際に作ってきたので採用された{{要出典|date=2016年6月}}
*[[木梨憲武]]や[[ヒロミ]]とは20代前半からの付き合いで、家族ぐるみの付き合いをしている。[[2015年]][[6月3日]]から木梨、ヒロミとコラボレーショした楽曲「友よ」が配信されている。
*プライベートで付き合いのある[[博多華丸]]曰く「“港・港に好きな[[餃子]]がある”ほどの餃子好き」<ref>「ごはん迷う芸人、博多華丸の大決断! 食べずに終われんばい!」(ヨシモトブックス)P83</ref>。