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社長には[[UWFインターナショナル]]の取締役だった[[鈴木健]]が就任。[[プロレス]][[団体]]としては初めて[[オープンフィンガーグローブ]]着用による顔面パンチとマウントパンチを公式ルールで認めたのが特徴である。招聘する外国人選手も[[プロレスラー]]、[[ブラジリアン柔術]]、[[ルタ・リーブリ]]といった総合格闘技の選手が主となった。これは[[UFC]]の登場により、人気と注目を集めていた[[バーリトゥード]]ルールの影響を強く受けたもの。
[[1997年]][[5月4日]]に開催した、[[国立代々木競技場]]大会で発足旗揚げ戦を開催。[[田村潔司]]を除く、Uインターのほとんどの選手の受け皿となり、Uインターの系譜を引き継いだ。しかし肝心の興行の目玉となるUインターのエースだった[[高田延彦]]は正式には参加せず、エキシビションでの登場とテレビ放送での解説でかつての仲間をサポートするにとどまった。高田は自分が参加しなかったのは、[[ヒクソン・グレイシー]]との対戦の準備(一説には[[マイク・タイソン]]との対戦の交渉)に専念すること、潰れた団体の選手で再発足することに疑問を感じたこと、Uインターで興行の運営にタッチすることに懲りたことなどを理由に挙げている。
キングダムは[[安生洋二]]が中心となり、[[金原弘光]]と[[桜庭和志]]が頭角を現わし、て[[スカパー!プレミアムサービス|パーフェクTV!]](現:スカパー!)での放送も行なわれたが、[[1998年]][[2月26日]]の記者会見で鈴木社長が所属全選手の契約解除と事務所と道場の閉鎖を発表。1年に満たない活動を終える。[[高山善廣]]と[[垣原賢人]]は[[全日本プロレス]]へ、[[金原弘光]]と[[山本喧一]]は[[リングス]]へ移籍。
高田は同年[[3月20日]]に設立していた[[高田道場]]へ[[佐野直喜|佐野友飛]]と、若手選手の[[松井大二郎]]、[[豊永稔]]を受け入れた。高田道場へはキングダム活動中に桜庭和志を所属させている。なお、高田道場は[[アマチュアレスリング|レスリング]]と[[格闘技]]の[[道場]]であり、選手のマネジメントを行なうが、興行を開催することはなく、興行団体であるUインターとは性質を異にする。キングダムの名称は、練習生だった[[入江秀忠]]が受け継ぎ、[[1999年]]から[[格闘技]]団体「'''キングダムエルガイツ'''」として活動している。
== 外部リンク ==
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