「強制収容所」の版間の差分

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しかし、その他の国々でもこうしたものは存在し、第二次世界大戦中の[[アメリカ合衆国]]、アメリカ合衆国の影響下にあった国々や[[カナダ]]、[[オーストラリア]]などの[[イギリス連邦]]の国々でも[[日系人の強制収容]]が行われ多数の日本人・日系人が、強制収容所に入れられ、戦後アメリカ政府など、収容を行った政府が謝罪し補償の対象になっている他、日本でも[[ヴィクトル・スタルヒン|スタルヒン]]が敵性外国人として収容された例、[[沖縄戦]]終結直後に県民達が[[アメリカ軍]]によって収容された例がある。
 
[[先住民|先住民族]]や[[少数民族]]が強制収容所に送られる例もある。[[オーストラリア]]では、白人との混血も含む[[アボリジニ]]の児童が親元から引き離され、牢獄のような劣悪な強制収容所に送り込まれた<ref>{{cite news |title=収容所から脱出し、1600キロを徒歩で逃げたアボリジニ3少女 |newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2014-3-10 |url=http://nationalgeographic.jp/nng/article/20140310/387267/ |accessdate=2014-3-14}}</ref>。[[アメリカ合衆国]]では、インディアンたちが当局によって強制収容所に送り込まれた<ref>[https://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IAS/ras/30/ishiyama.pdf コロラド・リバー・インディアン居留地の農地開拓と日系人労働力](PDF) - [[立教大学]]</ref>。強制移住も行われ、インディアンが送られた先は[[インディアン準州|インディアン保護区]]と呼ばれたが、インディアンにとっては強制収容所そのものだった<ref>{{cite news |title=市民の権利がいかに重要かを学ぶ - ロサンゼルス |newspaper=[[日刊サン]] |url=http://www.nikkansan.com/feature/post/1000001402|accessdate=2014-3-15| author = JUNZO ARAI | author2 = TOMOMI KANEMARU}}</ref>。[[ガンデンポタン|チベット亡命政権]]によると、[[中華人民共和国]]では[[チベット民族|チベット人]]が刑務所や強制収容所に収監され、重労働が課されており、収容者の7割が死亡しているとされる<ref>{{cite web |title=刑務所や強制労働収容所での死亡事例 |publisher=[[ダライ・ラマ法王日本代表部事務所]] |url=http://www.tibethouse.jp/human_rights/human38.html |accessdate=2014-3-15}}</ref>。
 
また、[[軍事国家]]の傾向が強い国家において言論を弾圧した結果として[[政治犯]]が収容される[[刑務所]]、[[対テロ戦争]]において「逮捕した容疑者」を収監する施設が収容所と呼ばれることもある。現在あるものとしては[[強制収容所 (北朝鮮)|北朝鮮の強制収容所]]、[[アメリカ南方軍]]の[[グァンタナモ米軍基地|グァンタナモ基地]]([[キューバ]])内刑務所、[[アフガニスタン]]駐留軍のバグラム空軍基地内刑務所が[[アムネスティ・インターナショナル]]によって「収容所」と判定された。[[2005年]]11月には、[[アメリカ中央情報局|CIA]]が[[対テロ戦争]]で拘束した「容疑者」を、東ヨーロッパのいくつかの国にある旧ソ連時代の政治犯収容所、また2006年には「[[テロリスト]]若しくはその関係者と接触した可能性のある人物」を[[シリア]]の秘密収容施設に法的根拠なく収監・拘束していたことが発覚する。[[アメリカ合衆国上院軍事委員会]]の報告書によると[[朝鮮戦争]]時代に[[中国人民解放軍|中国共産党軍]]の収容所で受けた拷問を参考にさせていたという。