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== 来歴・人物 ==
=== 現役時代 ===
中学時代は陸上部に所属し、投てき種目で[[ジュニアオリンピック]]に出場。[[東邦高等学校|東邦高校]]時代に投手から捕手に転向し、[[1986年]]には[[選抜高等学校野球大会|春の選抜]]に出場。通算24[[本塁打]]を放ち、卒業後の[[1987年]]に[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]3位で[[阪神タイガース]]へ入団。[[1989年]]にプロ入り初出場を果たすと、[[1991年]]からは出場機会が増え、打率1割台と打撃には苦しんだが、プロ初本塁打を含む2本塁打をマーク。5年目の[[1992年]]には正捕手として投手陣をリードし、チーム2位躍進に貢献。打撃では打率.204と苦しんだが、本塁打は前年を少しだけ上回る4本を記録した。その後は正捕手の座を手中にするかと思われたが、[[関川浩一]]・[[矢野燿大]]などの存在もあり、自身も伸び悩む。[[1999年]]には[[野村克也]]監督に守備面を酷評されるが、[[2000年]]には[[規定打席]]不足ながら打率.319をマークするなど打撃面で開眼し、同年[[8月24日]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦ではプロ初のサヨナラヒットを放つ。[[2002年]]には正捕手の矢野が故障離脱をしたものの、チャンスを生かせず、逆に出場機会が減る。同年のシーズンオフに[[下柳剛]]・[[中村豊 (野球)|中村豊]]との複数トレードで、[[伊達昌司]]と共に[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]へ移籍。[[2003年]]の春季キャンプでは開始後わずか25分で故障し、12球団最速でリタイアしてしまい話題となってしまう。[[高橋信二]]の成長や[[中嶋聡]]の加入もあり、[[2005年]]に引退。
 
[[1996年]][[6月29日]]、ヤクルト戦の[[古田敦也]]の打席で[[嶋田哲也]]が古田の頭部付近に[[ビーンボール]]球を3球続けて投げたことで古田が嶋田に激怒、山田が古田を制止しようとしたところ古田が放り上げたバットが山田に当たったことから山田も激高し応酬したため、そこから両チーム入り乱れての大乱闘に発展した。また山田は乱闘の際に古田に投げられたのを始め、[[トーマス・オマリー]]と[[ヘンスリー・ミューレンス]]に殴られるなど凄まじい結果となった。山田曰く、これは古田がインサイドをえげつなく投手に要求してくるからその報復の意味もあったと後に語っている。