「ブッカー・T (プロレスラー)」の版間の差分
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'''ブッカー・T'''('''Booker T'''
[[WCW]]、[[WWE]]、[[TNA]]の各団体において[[黒人]]選手のトップスターとして活躍。[[マイクパフォーマンス]]においても数々の決め台詞が存在する。
== 来歴 ==
17歳の時に[[ウェンディーズ]]に強盗に入り逮捕されるも、19か月間の懲役を経て更生し、[[イワン・プトスキー]]の[[プロレスラー養成所|プロレスリング・スクール]]に入門、[[スコット・ケーシー]]のトレーニングを受け[[1989年]]にデビューを果たした<ref name="
1993年6月に[[WCW]]に登場。同時にチーム名を'''[[ハーレム・ヒート]]'''(
{{Main|ハーレム・ヒート}}
[[1995年]]11月、当時WCWと提携していた[[新日本プロレス]]に単独で来日。翌[[1996年]]3月にはスティービー・レイとのハーレム・ヒートとして参戦し、[[名古屋市|名古屋]]で[[橋本真也]]&[[平田淳嗣]]の[[IWGPタッグ王座]]にも挑戦した<ref name="
[[1997年]]下期からはシングル・プレイヤーとして活動し、[[1998年]]には[[クリス・ベノワ]]と[[WCW世界TV王座]]を巡り抗争を展開<ref name="
以後、ハーレム・ヒートの再結成・再解散を経て、同年7月9日の『[[バッシュ・アット・ザ・ビーチ]]』にて[[ジェフ・ジャレット]]から[[WCW・世界ヘビー級王座|WCW世界ヘビー級王座]]を奪取。以降はWCWの主役級のポジションを獲得し、[[スティング (プロレスラー)|スティング]]、[[ビル・ゴールドバーグ|ゴールドバーグ]]、[[ケビン・ナッシュ]]、[[スコット・スタイナー]]といった大物達から白星を挙げ、WCW世界ヘビー級王座にも通算5回(うち2回はWWF版)戴冠している<ref name="
=== WCWからWWFへ ===
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[[Image:King Booker Pose.jpg|left|thumb|170px|キング・ブッカー(2007年)]]
WWEではベビーフェイスとヒールを頻繁に行き来し、シャーメルのWWE登場時に[[カート・アングル]]と抗争していたときはベビーフェース、クリス・ベノワから[[WWE・ユナイテッドステイツ王座|US王座]]を獲得して以降はヒールとして活動。そのUS王座を賭けたクリス・ベノワとの七番勝負の最中に負傷し、[[ランディ・オートン]]に代理参戦を依頼。結果、戦わずしてUS王座を手に入れた。[[2006年]]の『[[ノー・ウェイ・アウト#第8回大会(2006年)WWE SmackDown!'s No Way Out 2006|ノー・ウェイ・アウト]]』でベノワにUS王座を奪還された後は[[マーティー・ライト|ブギーマン]]と抗争。5月の『[[ジャッジメント・デイ#第8回大会(2006年)WWE SmackDown!'s Judgment Day 2006|ジャッジメント・デイ]]』での[[キング・オブ・ザ・リング]]決勝戦においては[[ボビー・ラシュリー]]を破って優勝。その後、「[[国王]]」を自称しリングネームを'''キング・ブッカー'''(
=== 王座獲得からTNAへ ===
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=== WWE復帰 ===
[[2011年]]1月30日、WWEの『[[ロイヤルランブル#第24回大会(2011年)WWE Royal Rumble 2011|ロイヤルランブル2011]]』にて21番目にサプライズ登場。リング上を制圧していた[[ネクサス (プロレス)|ネクサス]]相手に一人で立ち向かう形となるも、'''[[ロック・ボトム#ブック・エンド|ブック・エンド]]'''(''Book End'')、'''スピン・ルーニー'''(''Spin-a-Rooney'')を見せ健在ぶりをアピールした。しかし、直後に[[バリー・グリフィス|メイソン・ライアン]]によってリング外へ落とされ、短時間での退場となった。その後WWEと長期契約を交わし、2月4日のスマックダウンにおいて[[スポーツ解説者|カラー・コメンテーター]]として登場した。
2011年4月より復活した[[タフイナフ]](日本では未放送)ではトレーナーを担当。6月6日のRAWではシングル戦に復帰し、[[ジェイク・ヘイガー|ジャック・スワガー]]からリングアウト勝ちを収め、最後は[[マット・コークラン|エヴァン・ボーン]]とのダブル・スピンルーニーを見せた。
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: WCW若手時代は'''ゲット・ブラスター'''、以後は'''アックス・キック'''と呼ばれた。前屈状態の相手に、走りこんでジャンピング式の踵落としを決める。
: WCW時代は繋ぎ技であったが、WWE時代はシザース・キックの名称と共に必殺技としていた。
; [[ロック・ボトム#ブック・エンド|ブック・エンド]]
: 膝からマットに着地する形の[[ロック・ボトム]]。
: WCW時代は必殺技としており、これで数多くの大物を破りWCW王座を獲得する等したが、WWE時代は[[ドウェイン・ジョンソン|ザ・ロック]]が同系の技を使用していたため、稀にしか見せなかった。
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* Dead White Guys
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* 2002年4月に、ヒューストンに自身の経営する店を開業させた。[[音楽]]、[[テレビゲーム]]、[[ヒップホップ]]関連商品を取り扱っている。
* 2006年2月に、[[スマックダウン|SmackDown!]]日本公演で[[WWE]]として初来日の予定だったが、ケガのため不参加。なお前年同時期に行われた公演は自身の結婚のため不参加。WWE在籍時の来日は実現しなかった。
* 2006年より、地元のヒューストンにてインディー団体 "[[:en:Pro Wrestling Alliance|Pro Wrestling Alliance]]" を兄のスティービー・レイと共に主宰している<ref name="PWA">{{Cite web|url=http://www.bookertpwa.com/HOME.html|title=Pro Wrestling Alliance|accessdate=2010-05-10|publisher=PWA Official Website}}</ref>。
* 決め台詞の「5 time WCW champion」が定着していることが災いしてか、WWE移籍後にWCWヘビー級王座から陥落して以降は、後継王座である[[WWE
== 脚注 ==
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