「大日本プロレス」の版間の差分

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'''大日本プロレス'''(だいにほんプロレス)は、[[日本]]の[[プロレス]][[団体]]<ref group="注釈">[[昭和]]後期に[[梶原一騎]]が設立を計画した[[プロレス]][[団体]]「大日本プロレス」とは無関係。詳しくは「[[梶原一騎#大日本プロレス設立計画|大日本プロレス設立計画]]」を参照。</ref>。運営は'''大日本プロレスリング興業株式会社'''(だいにほんプロレスリングこうぎょう)と、その[[子会社]]の'''有限会社四ツ葉工芸'''(よつばこうげい)。
 
'''[[デスマッチ]]団体'''を標榜しており派手なデスマッチを特徴としている。旗揚げ当初こそ[[試行錯誤]]を重ね徐々に看板をデスマッチに特化していった。その後[[ストロングスタイル]]のプロレスの台頭を経て現在に至る。
 
== 歴史 ==
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会場ごとにポジショニングを分け、それぞれに合わせた興行を行っているのも特徴である。
; [[横浜文化体育館]]
: 旗揚げ戦の会場となった場所で年2回開催される。[[2011年]]以降の開催日は毎年[[5月5日]]と12月第3日曜日([[2013(2013]]のみ改修工事の関係で11月4日)でほぼ固定。[[BJW認定デスマッチヘビー級王座]]もしくは[[BJW認定世界ストロングヘビー級王座]]の選手権試合が必ず行われる。
; [[後楽園ホール]]
: 基本的に月1回ペースで開催(月2回以上になる場合もある)。 特に毎年[[1月2日]]夜は[[全日本プロレス]]との昼夜興行として大日本プロレスの年初めとなる大会が固定で開催さ行われて[[グレート小鹿]]の誕生日にあたる[[4月28日]]も開催。[[2014年]]8月には初の3連戦を開催敢行
; [[新木場1stRING]]
: 過激な[[デスマッチ]]が行える会場として後楽園ホールに次ぐ数の大会が行われている。[[2014年]]からは新宿FACEとの使い分けでデスマッチ中心の会場となり、[[2016年]]より若手中心の[[D−RIZE]]と平行して通常の興行が行われている。
; [[六角橋|六角橋商店街]]駐車場
: 大日本の選手プロレスが参加した映画「[[お父さんのバックドロップ]]」のロケ地となった縁で「商店街デスマッチ」と題して行われている。この会場では場外乱闘で何かが破壊されていて[[2004年]]には突入した[[駄菓子屋]]が[[2006年]]には[[テレビ神奈川|tvk]]の番組「[[みんなが出るテレビ]]」のブースのテレビが[[2007年]]には売店脇の[[冷蔵庫]]が破壊されて[[2009年]]にはメインの勝利者賞として用意されていた液晶テレビ、[[2014年]]には自家用車が破壊された。なお、この場外乱闘はほとんど[[アブドーラ小林]]が絡んでいる。[[2012年]]より[[横浜市]]内各所で[[商店街プロレス]]が開催されているがデスマッチが行われる六角橋商店街での試合は別格扱いで有料となる。
; [[横浜にぎわい座]]
: 大日本の別ブランドの[[横浜プロレス]]と[[Dダッシュ]]や[[2011年]]より開始された[[DAINICHI-X]]の会場としても使用されていたが[[2013年]]からは大日にぎわいTHEATERとして開催し他にも企画的な大会や試合が実施されることが多い。
; [[上野恩賜公園]]野外ステージ(みずどりのステージ)
: [[2011年]]より1日複数部興行の1部を500円で観戦できる「ワンコインプロレス」を実施。以降も入場料を抑えた興行を年に数回行なっている。
 
=== その他の会場 ===
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: 女子プロレス団体との昼夜興行として2ヶ月に1回ペースで開催。[[ニコニコ動画]]の[[ニコニコチャンネル|ニコニコチャンネル]]で[[ニコニコ生放送]]ライブ中継も実施されている。
; [[Rensa]]
: [[2014年]]より[[宮城県]][[仙台市]]で[[デスマッチ]]ができるプロレス会場として使用中。女子プロレス団体などとの昼夜興行として開催。[[愛知県]][[名古屋市]]と同様にニコニコ生放送ライブ中継も実施。
; [[南国市商工会]]東隣駐車場
: [[2009年]]より毎年夏に「ビアガーデンプロレス」として開催。[[岡林裕二]]の地元凱旋興行の開催場所でもある。
; [[広島県立広島産業会館]]
: [[デイリースポーツ]]の後援の下で「広島"大"熱狂プロレス」として開催。当初は東館を使用していたが[[2014年]]9月の興行大会より西館で行っている。
; [[マルスジム]]
: 閉鎖された[[サッポロテイセンボウル|札幌テイセンホール]]の代替会場として2015年から使用開始。
; [[園田競馬場]]
: 「大日本プロレスカップ」というレースを開催。[[しており、2014年]]より競馬開催と並行して試合を行っている。
; [[静岡産業支援センター|ツインメッセ静岡]]
; [[金沢流通会館]]
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; [[稲沢駅]]前特設会場
; [[川崎市体育館]]
: [[桂スタジオ]]とは対照的に'''蛍光灯が使えない'''等の規制が多く、その中でいかに質の高い試合を提供できるかが求められた。[[2014年]]に閉鎖。
; [[ラゾーナ川崎プラザソル]]
: かつて大日本プロレスを含む各団体から参戦選手を募り若手選手の育成の場としての興行を実施。そのため[[デスマッチ]]はあまり行われず、通常ルールの試合がほとんどとなった。[[2008年]]11月から大日本の別ブランド[[Dダッシュ]]が設立されるため使用されていない。
; [[桂スタジオ]]
: 2か月に1回のペースで開催。首都圏の屋内会場の中では規制が最も緩いため新世代デスマッチファイターの発掘や後楽園ホールではできないような試合形式など実験的なカード編成が行われる。この自由度を利用して[[2004年]]には18歳未満入場禁止の興行を開催している[[2008年]]からは「好きです!さいたま!大日本」という地域スローガンを掲げ[[埼玉県]]での活動拠点として興行を行うが2009年1月4日から使用されていない。現在は施設自体が閉鎖。
; [[新潟フェイズ]]
; [[函館市民体育館]]
: [[グレート小鹿]]が[[函館市]]出身ということもあり社長時代には毎年興行が打たれていたが社長退任後よりこの会場は使用されなくなった。[[2015年]]に閉鎖。
; [[オーストラリア記念館|四日市オーストラリア記念館]]
: 各団体が使用していたが[[2013年]]12月に閉鎖される直前に大日本プロレスが追悼興行を開催。
; [[晴海埠頭]]客船桟橋
: [[2005年]]に[[秋葉原駅]]前特設リングで開催されていたファイヤーデスマッチを首都圏では4年ぶりに復活させた会場。
; [[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガ倉庫1号館]]
: [[2007年]]に他団体の協力を得て「赤レンガ プロレスフェスティバル」を開催。メジャー団体の特別参戦によるメジャー・インディー交流戦も行われた。[[2013年]]1月に「横浜プロレスフェスタ」として開催されている。施設の貸出方針変更のため[[2014年]]1月が最後の自社興行となった。なお[[2016年]]1月に「イベントへの参加」という形で試合を行なっている。
; [[シアター1010]]
: [[2013年]]に興行を開催し行っBJW-REALの会場。
; [[新宿FACE]]
: [[2014年]]のみ本格的に使用。デスマッチ中心の新木場1stRINGに対してストロング中心の興行大会を開催していた。
; [[サッポロテイセンボウル|札幌テイセンホール]]
: [[グレート小鹿]]が[[北海道]]出身ということもあり準[[フランチャイズ]]に指定。「BJW北の聖地」とも呼ばれている。[[2010年]]からは毎年10月に他団体と合同興行「[[札幌プロレスフェスタ]]」を開催。[[2015年]]6月をもって閉鎖されて通常形態は[[4月19日]]にをもって終了。[[6月30日]]の同会場最終営業日に特別興行を開催。
 
== 大日本プロレスの別ブランド ==
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: [[神奈川県]][[横浜市]]への地域密着型団体を目指して設立。
; [[Dダッシュ]]
: [[李日韓]]のプロデュースによる大日本プロレスを含むインディーの各団体から若手選手の育成を目的に設立。
; [[MEN'S CLUB FIGHT]]
: [[MEN'Sテイオー]]が主宰する[[MEN'S CLUB (プロレス)|MEN'S CLUB]]に参加選手による興行。
; [[D-RIZE]]
: [[2016年]]1月より開始された若手主体興行。[[新木場1stRING]]で月1回開催。[[全日本プロレス]]の若手主体興行「[[AJ PHOENIX]]」と交互に主催することが発表されている。第0大会は大日本プロレスが主催して全席自由席3,000円で開催。[[ニコニコ動画]]の[[ニコニコチャンネル|大日本公式チャンネル]]で生中継される予定。
 
== タイトルホルダー ==
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: 8人制の変則バトルロイヤル方式で争われるもので地方でもタイトルマッチを組みやすくする目的で設立。その後タイトルは自然消滅したがチャンピオンベルトのみは後に[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]の「呪いのベルト」の向こうを張って登場した「幸せのベルト」に流用されている([[山川竜司]]が保持している)。
* [[WEWハードコアタッグ王座]]
: [[2002年]]から[[より2005年]]まで管理。その後、[[KAIENTAI DOJO]]へ移動。
 
{| class="wikitable"
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* [[村上☆健]](リングアナウンサー)
* [[今井良晴]](リングアナウンサー)
 
== フリー、他団体参戦選手 ==
* [[ミスター・ポーゴ]]
* [[ターザン後藤]]
* [[中牧昭二]]
* [[松永光弘]]
* [[金村キンタロー]]
* [[BADBOY非道]]
* [[黒田哲広]]
* [[田中将斗]]
* [[GENTARO]]
* [[矢口壹琅]]
* [[保坂秀樹]]
* [[松田慶三]]
* [[川畑輝鎮]]
* [[茂木正淑]]
* [[大刀光電右エ門|大刀光]]
* [[石井智宏]]
* [[マンモス佐々木]]
* [[湯浅和也|GAINA]]
* [[大谷晋二郎]]
* [[大森隆男]]
* [[獣神サンダー・ライガー]]
* [[高岩竜一]]
* [[カズ・ハヤシ]]
* [[近藤修司]]
* [[飯伏幸太]]
* [[冨宅飛駈]]
* [[石倉正徳]]
* [[矢野啓太]]
* [[NOSAWA論外]]
* [[MAZADA]]
* [[竹村豪氏|TAKEMURA]]
 
== 来日外国人選手 ==
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* [[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]
* [[サブゥー]]
* [[クリト・キーパー]]
* [[ジェイソン・ザ・テリブル]]
* [[ジェイソン・ナイト]]
545 ⟶ 578行目:
* [[ジェイソン・レイ]]
* [[ロッキー・サンタナ]]
* [[エディ・フレンチ]]
 
=== 女子プロレスラー ===
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== スローガン ==
; [[デスマッチ]]メジャー宣言
: [[2005年]]、デスマッチの地位向上とクオリティアップを目指して宣言。
; ファンNo.1宣言
: [[2006年]]、「大日本プロレスのファンは素晴らしい」と言えるようなプロレス団体を目指して宣言。ファンとの交流の場を増やす等、ファンサービスを強化。
; ONE MORE BJ
: [[2007年]]、インディー団体としての原点に立ち返りつつ、更なる一歩を踏み出す。
; 好きです!さいたま!大日本!
: [[2008年]]、地域限定スローガン、大会だけでなくイベントやチャリティー活動などにも積極的に参加して[[埼玉県|埼玉]]にプロレスの楽しさをより多くの機会で与えていく。
; チャレンジトゥギャザー
: [[2009年]]、大日本プロレスの設立から15年目を迎えるためにファンと一緒に力を合わせて挑戦して夢を叶えると宣言。ファンの実現したい夢や挑戦を募集。
; BJW EXECUTION
: [[2011年]]、夢への実行、実現力を全面に打ち出し一丸となって活動する。
; Major Quality Independent Spirit
: [[2012年]]、時に激しく、時に強く、そして高い目標と志を持って活動する。
; BJW RESOLUTION
: [[2013年]]、大日本プロレスの設立から18年目を迎えるために新たなステップアップに一丸となって挑む気持ちを表す。
 
== マスコットキャラクター ==
* [[デスかも]]
: [[鶴見川]]流域の[[カモ]]がモチーフのキャラクター。本拠地のある[[神奈川県]][[横浜市]][[緑区 (横浜市)|緑区]][[鴨居 (横浜市)|鴨居]]で生まれたという設定。[[2013年]]、「デスかも体操」という曲が作られた。この曲はリングアナウンサーの[[今井良晴]]が制作して今井の娘の[[今井愛里]]が振り付けを考案。[[2013年6月16日]]、神奈川県横浜市[[磯子区]][[杉田 (横浜市)|杉田]]の[[プララ杉田]]で開催した[[商店街プロレス]]で初披露。[[10月1日]]、[[後楽園ホール]]で開催した「今井良晴追悼興行」でも披露された。
 
== 試合中継 ==
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== レスラーズ運輸 ==
[[2005年]][[5月19日]]、[[アブドーラ小林]]を代表取締役社長を務める[[引越し]]業を取り扱う[[運輸業|運送会社]]「大日本プロレス運輸」を子会社として開業。[[新日本プロレス]]と業務提携を結んでしているプロレス運輸(現:プロレス引越センター)から[[商標|商標権]]の侵害を理由に裁判を起こされたため12月に社名を「レスラーズ運輸」に改称。主に1人暮らしの女性からの依頼が多いらしい。「蛍光灯無料引取りサービス」を実施している。集まった蛍光灯は[[デスマッチ]]で使用して破壊される。スタッフは[[伊東竜二]]、[["黒天使"沼澤邪鬼]]、[[関本大介]]、[[谷口裕一]]、[[李日韓]]。現在は実質上営業休止中。
 
== 横浜マッスルファクトリー ==
[[2006年]][[5月11日]]、本社機能の分離と移転により[[関本大介]]を主導に[[道場]]を一般開放して[[トレーニングジム|スポーツジム]][[2013年]][[1月31日]]、営業終了。
 
== 飲食店 ==
; プロレスちゃんこ小鹿
; ホルモン小鹿亭
: [[2003年]][[11月21日]]、[[グレート小鹿]]が[[宮城県]][[仙台市]]に単身赴任して、ちゃんことジンギスカン専門店と[[2006年]][[3月24日]]、同じ敷地内にホルモン専門店を開店。[[2007年]][[4月30日]]、プロレスちゃんこ小鹿を閉店して帰京。2007年[[8月28日]]、ホルモン小鹿亭を閉店して小鹿が毎日厨房に立つ他に所属選手が店を手伝うこともあった。[[2004年]][[5月9日]]、プロレスちゃんこ小鹿大会と2006年[[4月24日]]、ホルモン小鹿亭開店記念大会を駐車場で開催して全試合終了後には大日本の所属選手との食事会が行われた。
; 横浜プロレス道場酒場YAMARYU
: [[2004年]]10月、[[山川竜司]]が長期休養により[[北海道]][[札幌市]]にバーを開店。[[2011年]][[4月30日]]、練習の拠点を移すため閉店。2011年[[5月30日]]、[[横浜市]]にバーをオープン。引退後も営業を続けていて不定期で大日本プロレス、[[プロレスリングFREEDOMS]]、[[プロレスリング・SECRET BASE|プロレスリングSECRET BASE]]、[[アイスリボン]]の選手との交流会などが行われている。
; 海坊主
: [[2007年]]6月、[[アブドーラ小林]]が[[神奈川県]][[横浜市]]に居酒屋を開店。[[2011年]][[3月31日]]、[[東北地方太平洋沖地震]]で被害を受けたため閉店。
 
== 脚注 ==