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== その他 ==
病弱で出産の度に大病にかかっていた豪姫だが、ある時狐が憑いたのが原因だと言われ、養父・秀吉は狐狩の文書を出した<ref>[[桑田忠親]]「豊臣秀吉の狐狩に関する文書」(『歴史地理』66巻6号、1935年)</ref><ref>桑田忠親「太閤狐狩の文書」(『戦国武将の生活』青磁社、1942年)</ref><ref>桑田忠親「大西家所蔵狐狩の古文書」(『朱』12号、1971年)</ref>。この時は、内侍所御神楽が奏され、実父の利家も名刀三池伝太の威力で狐を落としたという<ref>岩沢愿彦『前田利家(新装版)』(吉川弘文館、1988年)335-336頁</ref>。
 
次女の[[伏見宮貞清親王]]室は金沢に帰ってから生まれた子で、夫の秀家が関ヶ原の戦い後に各地を逃亡途中、密かに豪姫に会いその時身篭ったとされている。