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[[ファイル:MichaelWalzer-USNA-Lecture.jpg|thumb|right|200px|[[マイケル・ウォルツァー]](2002年11月18日撮影)]]
'''正戦論'''(せいせんろん、{{lang-laen|jusJust bellum iustumWar}} もしくは {{lang-|en|Just War Theory}})とは、[[ローマ哲学]]と[[カトリック教会|カトリック]]に起源をもつ、[[軍事]]に関する[[倫理]]上の原則・理論。[[西ヨーロッパ]]においては「正しい戦争」「正しくない戦争」を区別することで、戦争の惨禍を制限する事を目指して理論構築がなされた。[[聖戦]]とは概念が重なる場面もあるが、多くは別枠で論じられる。
 
本項は西ヨーロッパ([[西方教会]]圏)における正戦論について説明する。
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== 西欧における正戦理論の展開 ==
=== 発祥と思想家の系譜 ===
[[ファイル:AugustineTiffany Window of HippoSt Augustine - Lightner Museum.jpg|thumb|uprightright|200px|[[アウグスティヌス]]([[ステンドグラス]]、作:[[ルイス・カムフォート・ティファニー|L. C. ティファニー]])]]
 
[[ファイル:St-thomas-aquinas.jpg|thumb|upright|[[トマス・アクィナス]]]]
[[ファイル:Michiel Jansz van Mierevelt - Hugo Grotius.jpg|thumb|right|125px|[[フーゴー・グローティウス|グローティウス]]([[1631年]]に描かれた絵画)]]
 
[[西ヨーロッパ]]における正戦論は、際限のない[[中世]]の戦争・暴力という状況から、戦ってもよい戦争と戦ってはいけない戦争を区別し、戦争・暴力の、行使・発生を制限する事を目指した知的営為から生まれたものであり、[[10世紀]]後半以降にこのような議論が活発となった。<ref name="k110">木村(2003: 110)</ref><ref>主要参考文献『戦争批判の公共哲学』は一貫して「ヨーロッパ」と表記しているが、文脈上[[東欧]]を含んでおらず、[[キリスト教]]・[[教会法]]についても[[西方教会]]に限定された内容記述となっているため、ここでは「西ヨーロッパ」もしくは「西欧」とした。</ref>。
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=== 正戦と聖戦 ===
[[ファイル:Magdeburg 1631.jpg|thumb|right|240px|[[マクデブルクの戦い]]を描いた絵画。[[三十年戦争]]で行われた残虐を示す事例の一つ。]]
 
正戦論はできるだけ戦争を限定することにより、戦争の害悪を少なくしようとする理論であると捉えられる。一方、聖戦は非限定戦争になる蓋然性が高くなる<ref name="k112">木村(2003: 112)</ref>。
 
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== 参考文献 ==
* [[木村正俊 (国際政治学者)|木村正俊]]「正戦と聖戦」『戦争批判の公共哲学』(第5章、 [[小林正弥]]編、2003年、[[勁草書房]] ISBN 9784326601592)所収
* 信州夏期宣教講座編、2009、『キリスト者の平和論・戦争論』、いのちのことば社 ISBN 4264027640
* マイケル・J・ゴーマン、平野 あい子訳、1990、『初代教会と中絶』、すぐ書房 ISBN 4880682152
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== 関連項目 ==
* [[正しい戦争と不正な戦争]] - [[マイケル・ウォルツァー]]による正戦論の古典的著作
* [[戦争哲学]]
* [[予防外交]]