「関ヶ原 (テレビドラマ)」の版間の差分

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『'''関ヶ原'''』(せきがはら)は、[[TBSテレビ|東京放送]]創立30周年記念番組として[[司馬遼太郎]]の小説[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]を原作に、[[TBSテレビ|TBS]]系にて[[1981年]][[1月2日]]から[[1月4日]]まで3夜連続で放映された大型時代劇。
 
==概要==
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== 備考 ==
*本放送時のサブタイトルには「第一夜」「第二夜」「第三夜」の冠が付いていた(例:第一夜 夢のまた夢)。
*[[島清興|島左近]]役の[[三船敏郎]]のほか、[[山内一豊]]役の[[千秋実]]、[[浅野長政]]役の[[稲葉義男]]、旅籠日野屋主人役の[[藤原釜足]]ら、映画[[七人の侍]]の主要キャストが数多く登場している。
*現在はレンタルビデオ(一巻と二巻の巻末に原作者司馬遼太郎と主演の森繁久彌、加藤剛の対談シーンも収録。本放送時は番組「第一夜」冒頭で放送)での視聴が可能であり、同内容の[[DVD]]も発売されている。
*CS・[[TBSチャンネル]]でもたびたび再放送が行われ、その際、原作者の[[司馬遼太郎]]・[[石田三成]]役の[[加藤剛]]・[[徳川家康]]役の[[森繁久彌]]の鼎談もオンエアされた。
*司馬遼太郎が死去した1996年に追悼番組として[[関東地方]]のみ[[地上波]]再放送。
*本作放送直前に、島左近を演じた三船敏郎が同じTBSの人気番組[[8時だョ!全員集合]]に番宣の意味から戦国武将の出で立ちで出演した。三船はこの出演の際に、当時流行していた[[ヒゲダンス]]まで披露し、話題を呼んだ。また小早川秀秋を演じた国広富之も「[[クイズダービー]]に出演し、収録時のエピソードなどを語っている。
*1981年(昭和56年)[[1月1日]](木曜日)付の「[[毎日新聞]]」に掲載された番組の特集記事には、データ関と題して、
**制作費/予算5億5千万円。大幅にアシが出た
**出演俳優/セリフのある人だけで118人
**出演エキストラ/実数で3500人
**参加スタッフ/120人
**収録/スタジオで29日。ロケ35日。ロケ地は[[福島県]][[相馬|相馬ヶ原]]、[[彦根]]、[[伏見]]、[[関ケ原町|関ヶ原]]、[[富士五湖]]など20ヶ所
**台本印刷費/400万円
**関係者弁当代/570万円。約1万個の計算
**出演の馬/400頭
**合戦シーンのノボリ/300本
**同陣屋のクイ/450本
**使ったVTR/70時間分
**けいこ開始/[[1980年|昨年]][[8月15日]]
**三本目の完成/1月2日
*:などの記述があり、ギリギリまで編集作業が行われていた事がわかる。また、同記事では、第三話のタイトルが『裏切り風景』となっている(実際の第三話のタイトルは『男たちの祭り』)。
*放映当時の番組宣伝コピー
*:“空前”とはこの大作にこそふさわしい “絶後”とはこの合戦をおいて無い
*当時、系列局であったNBC([[長崎放送]])は、第2夜の放送時間はNTV系列枠であり、高視聴率番組だった[[熱中時代]]教師編第2シリーズの同時ネット枠であったが、特別措置でTBS系列の同時ネットを行い、『熱中時代』は後日時差放送された。
*2009年12月06日、CS・TBSチャンネルにおいて、同年11月に逝去した[[森繁久彌]]の追悼番組として一挙放送された。
*北政所役の杉村春子は本作品収録当時、名古屋で舞台[[華岡青洲の妻]]」の公演中であった。本作プロデューサーの大山勝美は、空前絶後の超大作たる本作には日本を代表する女優である杉村の参加が必要不可欠との思いから、収録スケジュールと舞台公演の時期が重なっている事を承知の上で出演を交渉した。杉村は大山から既に出演が決定していた他の俳優陣のリストを提示されると、「よくもまあこれだけ(の豪華俳優陣を)集めたわねえ!」!驚嘆し、出演を快諾したという。しかし前述の如く収録時期と名古屋公演の時期が重なっていた為、杉村は名古屋での公演を終えるとそのままTBSの手配したハイヤーに乗り込み、東名高速を飛ばして帰京、夜を徹して収録に参加、明け方再びハイヤーで名古屋へとんぼ帰りして舞台公演に出演した。それは北政所のシーンを全て撮り終えるまで4日4ほど続いた。重鎮・杉村のその姿勢を見て、他の豪華出演者たちの誰も我侭をいう事なくスムースに収録は進んだという。<ref>CS・TBSチャンネル「テレビがくれた夢・大山勝美編」2014年4月7日放送</ref>
 
== 脚注 ==