「ピエール・ド・フェルマー」の版間の差分

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'''ピエール・ド・フェルマー'''({{lang-fr|Pierre de Fermat}}; 1607年末または1608年初頭<ref{{sfn name="|中村|2012.pp4| pp=4-5" />}}<!-- 通説は1601年8月17or20日-->- [[1665年]][[1月12日]])は[[フランス]]の[[数学者]]。「[[数論]]の父」とも呼ばれる。ただし、職業は[[弁護士]]であり、[[数学]]は余暇に行ったものである。
 
== 略歴 ==
*1607-1608年 - 南フランスの[[トゥールーズ]]近くの[[ボーモン=ド=ロマーニュ]]に生まれる<ref{{sfn name="|中村|2012.pp4| pp=4-5" />}}
*[[1631年]] - トゥールーズの請願委員となり、母の従姉妹のルイズ・ド・ロンと結婚。
*[[1648年]] - トゥールーズ議会の勅撰委員となる(死ぬまでこの地位にあり続けた)。
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農民が空腹と貧困で[[一揆]]を起こしていた時期に、フランスの小さな農村で誕生した。
正確な生年は確定されていないが、1607年末から1608年初頭である。従来は1601年とされていて墓に記されている没年齢との矛盾が謎であったが、2001年に発見された資料で生後すぐ死んだ兄との混同であったことが確定した<ref{{sfn name="|中村|2012.pp4| pp=4-5" />}}
 
4000 gを超える健康な子だった。実父のエドゥアールはピエールが生まれてすぐに一揆で死亡したため、母マリーは女手一つでフェルマーを育てた。マリーは法律家の家系の出であり、彼女の熱心な教育も後押しして、トゥールーズで弁護士の資格を取得、そこで法律家として一生を過ごした。
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**{{Cite book|和書|author=サイモン・シン|others=青木薫訳|date=2006-06-01|title=フェルマーの最終定理|series=新潮文庫|publisher=新潮社|isbn=4-10-215971-1|url=http://www.shinchosha.co.jp/book/215971/|ref=シン2006}}
*{{Cite book|和書|editor=[[竹内均]]編|year=2002|month=6|title=数学の天才列伝 ユークリッド非ユークリッドそしてノイマン|series=竹内均・知と感銘の世界|publisher=[[ニュートンプレス]]|isbn=4-315-51637-6|ref=竹内2002}}
*{{Cite journal|和書|author=[[中村滋]]|date=2012-11-12|title=数学史の小窓 余滴/最近の新しい発見から|journal=数学セミナー|issue=通巻 614号(2012年12月号)|pages=2-5|publisher=日本評論社|ref={{SfnRef|中村|2012}}}}
*{{Cite book|和書|editor=[[日本数学会]]編|date=2007-03-15|title=岩波 数学辞典|edition=第4版|publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-080309-0|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/3/0803090.html|ref=日本数学会2007}}
*{{Cite book|和書|author=[[E・T・ベル]]|others=[[田中勇]]・[[銀林浩]](訳)|date=2003-09-26|title=数学をつくった人びと|volume=1|series=ハヤカワ文庫NF283 〈数理を愉しむ〉シリーズ|publisher=[[早川書房]]|isbn=4-15-050283-8|url=http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/90283.html|ref=ベル2003}}