「究竟一乗宝性論」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
P906i (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
『'''究竟一乗宝性論'''』(くきょういちじょうほうしょうろん、{{lang-sa-short|Ratnagotra-vibhāga-mahāyānottara-tantramahāyānottaratantra-śāstra}}, '''ラトナゴートラ・ヴィバーガ・マハーヤーノッタラタントラ・シャーストラ''')とは、インド大乗仏教の中で[[如来蔵]]思想を組織的に説いた論書である。『'''[[宝性論]]'''』(ほうしょうろん)と略称される。
 
原名は、「ラトナゴートラ」(ratnagotra)({{lang|sa|ratnagotra}})は「宝性」([[仏性]])、「ヴィバーガ」(vibhāga)({{lang|sa|vibhāga}})は「分別・分析」、「マハーヤーノッタラタントラ」(マハーヤーナ・ウッタラ・タントラ、{{lang|sa|mahāyāna-uttara-tantra)tantra}})は「大乗の優れた(究極の)教説」、「シャーストラ」(śāstra)({{lang|sa|śāstra}})は「論」であり、総じて「宝性の分別を通じた大乗の究極の教えについての論」、漢字要約すると『'''宝性分別大乗究竟要義論'''』となる。
 
== 翻訳 ==
* 『究竟一乗宝性論』4巻 [[堅慧]]造、[[勒那摩提]](ratnamati)({{lang|sa|ratnamati}})訳 (511年訳)
* {{unicode|Theg-pa chen-po rgyud bla-mahi bstan-bcos}} ({{unicode|rnam-par bzad-pa}})
チベットでは略称を『ウッタラタントラ』{{lang|sa|Uttaratantra}} ({{unicode|Rgyud bla-ma)ma}})という。著者は原典に記載はないが、中国では堅慧(Saramati({{lang-sa-short|Sāramati}}、沙羅末底)と伝え、チベットでは韻文を[[弥勒 (僧)|弥勒]]、散文の註釈を[[無著]]の作とする。漢訳年代、および内容から判断して、成立は4世紀末-5世紀初と考えられる。
 
== 内容 ==
19行目:
第1章は序論としての7種金剛句(教化品第1)、[[三宝]]への[[帰依]](仏、法、僧宝品第2-4)の説明を含む。7種金剛句とは仏法僧の三宝と、如来性、菩提、仏功徳、仏業の7をいい、このうち後4は如来性の4種の見地を示すものとして、それぞれ第1-第4章の題名を形成している。
 
ここで如来性とは、仏性、すなわち仏たるべき性質のことで、それが因となって三宝を生み出すので、宝性({{lang|sa|ratnagotra}})といわれる。この如来性が衆生のうちにあって煩悩にまとわれているとき、これを如来蔵(tathāgatagarbha)({{lang|sa|tathāgatagarbha}})と呼ぶが、論はこれを10種の観点(自性、因、果、業〈はたらき〉、相応、行〈あらわれ〉、時差別、遍一切処、不変、無差別)および3種の意義([[法身]]、[[真如]]、性)によって述べ(一切衆生有如来蔵品第5)、9種の譬喩によって説明する(無量煩悩所纒品第6)
 
第2章は、同じ如来性が離垢清浄となった状態すなわち[[菩提]]の説明で、これを仏の法身の全現という意味で、[[転依]]と称する(身転清浄成菩提品第8)。そして、転依によって仏の[[徳性]](如来功徳品第9)と[[慈悲]]の働き(仏業品第10)がのこりなく顕現するというのが第3、4章の主題である。