削除された内容 追加された内容
→‎セイヴァリの熱機関: 副表題変更。陸軍大尉の誤り訂正。原理誤り訂正。特許とニューコメンの関係の訂正。
→‎ニューコメンの蒸気機関: 評価の明確化。普及の記述。誤り(商売で大成功)の削除。要出展テンプレート追加。等
23行目:
[[Image:Newcomens Dampfmaschine aus Meyers 1890.png|thumb|right|ニューコメンの蒸気機関]]
 
イギリスの発明家・企業家技術者である[[トマス・ニューコメン]](Thomas Newcomen 、[[1664年]]2月24日-[[1729年]]8月5日)は、[[1712年]]に、鉱山の排水用として実用になる最初の蒸気機関を製作した。
 
この蒸気機関は、パパンやセイヴァリの蒸気機関をさらに発展させたものであり、ボイラとは別に設けシリンダーの蒸気に冷水を吹き込んで冷やし、蒸気が水に戻るときに[[凝縮]]して生じる負圧(真空(大気圧)でピストンを吸引する方式である。依然蒸気圧を積極的に使うアイデアは多数あった頂部だが、まだ圧力に耐えうる蒸気釜が作れ大きかったためにとごとく破裂や蒸気漏れで失敗を介唯一こ真空減圧方式が商用化することがきた。発明坑道から動機がニューコメ揚水ポが住んでいた村の鉱山のわき水汲み出す、自の「つべ井戸」ものであったため。原理的往復運動はパパンの蒸気機関のシリンダーからボイラー回転運動分離して、継続的変えていない。運転速度は、毎分12サイクル程度できるようにしたものであったという。り、ニューコメンはこれで商売的に大成功独自のアイデアとた。なおて、蒸気中へ冷水を直接噴射してときシリンダーも冷えので燃料効率は低く方式掘り出大てこの動きを利用した石炭のうち実に1/3程度自動運転方式等挙げられる。そ揚水ポンプ産業革命の動力を担っめに消費蒸気機関の実質的な発明とされ,熱効率は1%にも達しな程度であった.る<ref>H. W. Dickinson (1939), "A Short History of the Steam Engine", Cambridge at the University Press, p.29.</ref>。
 
セイヴァリは大気圧を超える蒸気の圧力を用いて水を排出しようとしたが、ニューコメンは大気圧の蒸気とその凝縮により生じる真空だけを利用した。当時の技術では、ある程度の高圧に耐え得るボイラが作れなかったため、この方式だけが実用化できた。発明の動機がニューコメンが住んでいた村の鉱山のわき水を汲み出す、自動の「つるべ井戸」であったために{{要出典|date=2016年7月}}往復運動を回転運動に変えていない。運転速度は、毎分12サイクル程度であったという。なお冷水で冷やすときシリンダーも冷えるので燃料効率は低く、掘り出した石炭のうち実に1/3程度がこの揚水ポンプのために消費され,熱効率は1%にも達しない程度であった.
 
ニューコメン機関は1733年までセイヴァリの特許のもとで建造され、その後も含めて多くの技術者・科学者が建造・改良に関わった。1769年にワットがその改良特許を取得して以降も、ワット機関より多くのニューコメン機関が建造され、18 世紀の間でイギリスおよびヨーロッパの各地で建造されたニューコメン機関は、1500 から 2000 台にのぼった。
 
====動作====