「デーヴィッド・キャメロン」の版間の差分

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総選挙には、2001年、2005年、2010年、2015年の4回当選しているので、当選回数は4回とするのが正しいはず。カテゴリー変更。
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|内閣5 =
|選挙区5 = ウィットニー選挙区
|当選回数5 = 34
|就任日5 = [[2001年]][[6月7日]]
|退任日5 = 現職
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|元首5 =
}}
'''デイヴィッド・ウィリアム・ドナルド・キャメロン'''('''David William Donald Cameron'''、[[1966年]][[10月9日]] ‐ )は、[[イギリス]]の[[政治家]]。[[イギリスの首相|イギリス首相]](第75代)、[[保守党_(イギリス)|保守党]]党首(第26代)、[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員(3(4期)。デービッド・キャメロン<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJ6X5SXSJ6XUHBI028.html 「政争の具」で王国に深い傷 英保守党、国民投票の誤算]朝日新聞</ref>、デイビッド・キャメロンになっている場合もある<ref>[http://www.bbc.com/japanese/35994360 【パナマ文書】キャメロン英首相、父のオフショア信託の株保有認める]BBC</ref>。
 
== 来歴 ==
=== 政治家になるまで ===
[[ロンドン]]生まれ。[[イートン校]]を卒業後、[[ブレーズノーズ・カレッジ (オックスフォード大学) ]]で[[哲学]]・[[政治学]]・[[経済学]]を学び、一級優等学位(first class honours)を得て卒業。[[1988年]]より保守党調査部に勤務し、[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]と[[ジョン・メージャー|メージャー]]両[[政権]]下で政策資料の作成に従事する。また、メージャー政権の[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]であった[[ノーマン・ラモント]]のスピーチライターを務めた<ref name="bloomberg">「[http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200909280030a.nwc それでもサッチャー主義は敬遠]」 [[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]、2009年9月28日。</ref>。その後、[[1994年]]から[[2001年]]までイギリスの大手メディアであるカールトンに勤務した。[[2001年]]の[[庶民院 (イギリス)総選挙|2001年の庶民院]]議員総選挙]]では、[[オックスフォードシャー]]のウィットニー選挙区に保守党から出馬し、初当選。[[2005年]]の庶民院議員総選挙で再選。
 
=== 保守党党首 ===
庶民院議員再選後は[[影の内閣]]の教育・技能相を務めていたが、2005年12月の保守党党首選挙に「若手による改革」を唱えて出馬する。当初、キャメロンの当選は有力視されていなかったが、人気歌手だった[[ニール・セダカ]]を彷彿とさせる39歳の若さや爽やかな弁舌が支持を集め、党内の実力者で影の内務大臣だった[[デイヴィッド・マイケル・デイヴィス|デイヴィッド・デイヴィス]]を破り、第26代保守党党首に選出される。[[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット(小ピット)]]以来の最も議員経験の少ない党首であった。就任後は右寄りに傾きつつあった保守党を中道寄りに修正し、長期政権への倦怠感から不人気に陥った[[ゴードン・ブラウン|ブラウン]]労働党政権を上回る支持率を獲得。補欠選挙や地方選挙で快進撃を続け、保守党の党勢回復に成功する。[[2010年]]イギリス総選挙|2010年5月の庶民院議員総選挙]]では、労働党を上回る議席を獲得し、第一党の座を奪還するも過半数は獲得できなかったため、第3極の[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]に対し、連立政権の樹立を呼びかける。[[5月11日]]、ゴードン・ブラウン首相の退陣を受け、保守・自由民主両党による[[連立政権]]の樹立に合意した上で、首相に任命された<ref>{{cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00126.htm|title=英保守党13年ぶり政権、連立の行方不透明|work=YOMIURI ONLINE|publisher=[[読売新聞]]|date=2010-05-12|accessdate=2010-05-12}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00145.htm|title=英ブラウン首相、辞意を正式表明|work=YOMIURI ONLINE|publisher=[[読売新聞]]|date=2010-05-12|accessdate=2010-05-12}}</ref>。首相就任時の年齢は43歳7ヶ月であり、[[1812年]]の第2代[[リヴァプール伯爵]][[ロバート・ジェンキンソン (第2代リヴァプール伯爵)|ロバート・バンクス・ジェンキンソン]]以来、最も若い首相である。就任後、連立政権のパートナーである自由民主党の[[ニック・クレッグ]]を副首相及び[[枢密院_(イギリス)|枢密院議長]]に起用し、[[5月12日]]に戦後初の連立内閣<ref>{{Cite news | title=保守党キャメロン氏が首相就任、第2次大戦以来の連立政権| url=http://www.afpbb.com/article/politics/2725448/5741877| publisher=[[フランス通信社|AFP]]| date=2010-05-12|accessdate=2010-05-15}}</ref>である[[第1次キャメロン内閣]]を発足させた。
 
=== 英国首相 ===
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[[Category:イギリスの首相]]
[[Category:イングランド選出のイギリス庶民院議員]]
[[Category:イギリス保守党の政治家]]
[[Category:ロンドン出身の人物]]