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[[パヴィーア]]の司教{{仮リンク|エンノディウス|en|Ennodius}}が記した「Apologia pro Synodo」と「Gestatoriam sellam apostolicae confessionis」が仄めかすところでは<ref>Migne (1882), ''Patrologia Latina'', LXIII, 206; "Corpus Script. eccl.", VI, Vienna, at 328</ref>、当時まだ{{仮リンク|聖ペテロの椅子|en|Chair of Saint Peter}}がサンピエトロ寺院の内陣に保管されていた。これは移動可能な木製の肘掛椅子であり、象牙で象眼され、両側に2つの鉄環がついていた。
 
教皇御輿は(おそらく16世紀初めには)教皇の戴冠式などで毎回使われていたが、それ以前にも様々な儀式で使われていた。例えば[[ナポリ王国]]やその他の[[レーエン|封臣]]から年毎の貢物を受け取るとき、あるいは少なくとも15世紀以降、教皇が[[聖体]]を信者たちへ運ぶときに使われ、後者の場合は玉座の前に机がしつらえられた。[[ピウス10世 (ローマ教皇)|ピウス10世]]は1905年にローマで開かれた{{仮リンク|[[聖体大会|en|Eucharistic Congress}}]]でこれを用いたことがある。
 
[[ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ1世]]は、[[教皇冠]]をはじめとした教皇の権威を象徴する品々と共に教皇御輿を使うことに当初反対していた。しかし[[教皇庁]]の職員から、教皇の姿を観衆へ見せるため必要なものだと結局は説得された。[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]はその使用をきっぱり断わった。[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]も使ったことはない。1981年にヨハネ・パウロ2世が狙撃されてからは、一般謁見を受けるときなどは、防弾ガラスなど安全対策の施された自動車「[[パパモビル]]」の使用が慣行となった。実用性と防犯性の要請から、パパモビルが教皇御輿に置き換わった。