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'''戴 宗'''(たい そう)は、[[華人民共和|中国]][[小説]]で[[四大奇書]]の一つである『[[水滸伝]]』の登場人物。
 
== キャラクター概要 ==
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ある日、有名な好漢で旧友・呉用の手紙を預かっていた罪人の[[宋江]]と意気投合するが、彼は[[黄文炳]]によって謀叛をでっち上げられ牢へ入れられてしまう。宋江の無実を知っていた戴宗は弁明するが叶わず、知事である蔡得章から都にいる蔡京に判決の処遇を仰ぐ手紙を届けるよう言い付けられる。ところが、その道中で偶然にも梁山泊へ辿り着き、この事を首領の[[晁蓋]]と軍師となっていた呉用に相談した。結果、呉用の策により「宋江を都に護送せよ」という内容の手紙を蔡京の筆跡を真似て作成し、江州へ戻った戴宗はこれを知事に届けた。知事はこれを真に受けたが、黄文柄がこれが贋物であることを見抜いたため戴宗も捕縛、宋江ともども死刑宣告を受けた。しかし、処刑の当日に駆けつけた梁山泊と李逵の活躍で救出され、そのまま梁山泊の一員となった。
 
梁山泊では神行法の能力を生かして情報収集、伝令、諜報、工作、送迎、捕虜救出、行方不明者や人材の捜索などで大活躍。特に[[楊林 (水滸伝)|楊林]]、[[裴宣]]、[[トウ飛|鄧飛]]、[[孟康]]と有能な人材をスカウトし、間接的に[[石秀]]、[[楊雄 (水滸伝)|楊雄]]、[[時遷]]らも梁山泊へと導いた。[[方臘 (水滸伝)|方臘]]討伐後、朝廷から武節将軍の称号と兗州の司令官の地位を与えられるが、辞退して[[泰山]]で出家、数ヵ月後に病でもないのに死期を悟り、別れの宴の最中笑いながら大往生した。死後も夢の中の[[徽宗]]を梁山泊へ導く役を務めている。
 
なお、続編にあたる『[[水滸後伝]]』では、生存しており以前と同様に活躍する。
 
== 神行法 ==
神行法とは道術の一種である。この術は呪力をこめた[[護符]]を足にくくりつけることにより、人並みはずれた速度で走ることが可能となるというもので、両足に1枚ずつ護符を貼れば1日で500里(約275km)、2枚ずつ貼れば800里(約440km)を駆けることができる。
 
また術者だけでなく、術者本人が同行していれば他の人物にも神行法をかけることができる。ただし同時に術をけることができるのは1人までのようで、2人以上に神行法を使われたことはなかった。また道術という性質上、術者は酒と生臭を断つことが求められる。ただし、術者だけがそうしているだけでよく、同行者にはこの制約は当てはまらない。なお、物語中では[[高唐州]]戦において李逵とともに公孫勝を迎えに行く際、いつも酒で面倒をおこす李逵に方便を使いこの制約を守るよう言いつけた。ところが李逵は戴宗の目を盗んで酒と牛肉を食べたため、これを知った戴宗は李逵に途中で止まることが出来なくなる神行法をかけてこれを懲らしめた。この事実を見ると神行法は単に早く走れる術ではなく(術者本人を含め)人間の動作を操ることに本質があるように伺える。
 
道士が何人かいる梁山泊において、戴宗のみが使用できる道術であり、この特技により非戦闘員にもかかわらず梁山泊においてくてはならない存在となっていた。しかし、『水滸伝』百二十回本にのみ[[田虎]]配下の[[馬霊]]がもう一人の神行法修得者として登場する。しかも道士としての技量は馬霊の方が上で、千里(文簡本では万里)を駆けることが出来た。馬霊が降伏した後、戴宗は彼からこの千里を駆ける神行法を伝授された。
 
== 戴宗が主人公格であるリライト作品 ==
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[[Category:水滸伝の登場人物|たいそう]]
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