「アレクサンダー・グラハム・ベル」の版間の差分

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幼いころから好奇心旺盛で、植物標本を集めたり、実験したりしていた。そのころの親友ベン・ハードマンの家では製粉所などを営んでいた。若きベルは製粉所で困ったことはないかと訊ねた。そして、製粉前の脱穀が重労働だということを知り、12歳のアレックは回転パドルとブラシを組み合わせた単純な脱穀機を作り、それが何年も実際に使われたという<ref name="Bruce p. 16.">{{Harvnb|Bruce|1990|p=16}}</ref>。お返しにベンの父ジョン・ハードマンは2人の少年に「発明」のための作業場を与えた<ref name="Bruce p. 16."/>。
 
幼いころから感受性が高く、母から芸術、詩、音楽を教え込まれ才能を発揮した。正式な訓練を受けずにピアノ演奏を習得し、一家のピアニストになった<ref name="Gray p. 8">{{Harvnb|Gray|2006|p=8}}</ref>。普段は物静かで内省的であるにもかかわらず、訪問客があると物真似や[[腹話術]]のような「声のトリック」でもてなし、楽しませた<ref name="Gray p. 8"/>。また母の聴覚障害が徐々に進行したことにも深く影響を受け(彼が12歳のとき聴力を失い始めた)、手話を習得し、母の側に座り家族の会話を手話で同時通訳した<ref name="Gray p. 9">{{Harvnb|Gray|2006|p=9}}</ref>。またさらに、母の額に直接口を当てて明瞭に発音することで、母がそれなりの明瞭さで聞き取れるというテクニックも生み出した<ref name="Mackay p.25">{{Harvnb|Mackay|1997|p=25}}</ref>。母の聴覚障害について没頭するあまり、[[音響学]]を学び始めることになった。
 
彼の一族は長年弁論術の教育に関わってきた。祖父アレクサンダー・ベルはロンドンで、叔父は[[ダブリン]]で、父はエディンバラで弁論術の専門家として活躍している。父は ''The Standard Elocutionist'' (1860)<ref name="Gray p. 8"/> などの著作で知られている。''The Standard Elocutionist'' はイギリスで168刷まで版を重ね、アメリカ合衆国でも25万部以上を売り上げた。その中で父は[[ろう者|聾唖者]](当時の呼称)に単語の発音を教える技法や[[読唇術]]で他者が何をしゃべっているかを推測する技法を説明している。父はアレックや兄弟に{{仮リンク|視話法<!-- リダイレクト先の「[[アレクサンダー・メルヴィル・ベル]]」は、[[:en:Alexander Melville Bell]] とリンク -->|en|Visible Speech|FIXME=1<!-- :ja reditect -->}}の書き方だけでなく、様々なシンボルとそれに付随する発音の識別法を教えた<ref name="Petrie p. 7">{{Harvnb|Petrie|1975|p=7}}</ref>。ベルはそれに熟達したので、父の公開デモンストレーションでも実演し、聴衆を驚かせた。彼は視話法で書かれていればどんな言語でも事前知識なしに正確に発音でき、[[ラテン語]]、[[スコットランド・ゲール語]]、さらには[[サンスクリット]]などを発音して人々を驚かせた<ref name="Petrie p. 7"/>。
 
=== 教育 ===