「ヴィクトル・スタルヒン」の版間の差分

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[[1916年]]、帝政時代の[[ロシア帝国|ロシア]]の[[ニジニ・タギル]]に、ロマノフ王朝の将校・父コンスタンチンと母エレキドアの一人息子として誕生。
 
[[ロシア革命]]の際、一族の中に王党派がいたため、革命政府([[共産主義]]政府)から迫害される。一家は革命軍に追われながら[[ウラル山脈]]から広大な[[シベリア]]を横断し、国境を越えて[[日本]]の支配下にあった満州の[[ハルビン]]まで逃げ延びた。[[1925年]]、日本に[[亡命]]。日本への入国に必要な大金をなんとか支払い、[[北海道]]の[[旭川]]へ。日本では[[無国籍]]の「[[白系ロシア人]]」となる。
 
小学校へ入学し、虐められながらも成績優秀、運動神経も抜群で、徒競走では20m後ろからスタートさせられても一等になるほどだった。大正から昭和にかけて全国的にも少年野球は盛んであり、スタルヒンも学校のチームで活躍した。