「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」の版間の差分

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1886年から[[1893年]]にかけて約25台のベンツ・パテント・モトールヴァーゲンが製造された。
 
ベンツの妻の[[ベルタ・ベンツ]]は[[開発]]工程の資金調達を行い、[[近代]]的な[[法律]]の下では特許を保持できたが[[結婚]]した女性である彼女は特許を取得しようとしなかった。<ref>"Frauen in der Geschichte des Rechts&nbsp;— Von der Frühen Neuzeit bis zum Gegenwart", Ute Gerhard e.a., Beck'se Verlagsbuchhandlung, München 1997, ISBN 3-406-42866-5, Pag 464</ref>
 
== 仕様諸元 ==
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運転手と同様にベルタは運転時において[[整備士]]の役割も担い、気化器を彼女の帽子のピンで掃除したり[[ガーター]]を電線の絶縁に使用したりした。彼女はWieslochの薬局で給油し、ブレーキが磨り減ったのでベンツは靴屋に革をブレーキブロックに釘付けしてもらい、後にこれはブレーキライニングの発明になった。Pforzheim到着後、彼女は夫に[[電報]]打った後、実家で夜を過ごし3日後に戻った。旅程は計{{convert|194|km|abbr=on}}だった。
 
[[ファイル:Berthabenzmemorialrouteschild.jpg|thumb|[[ベルタ・ベンツ記念道・メモリアルルート]]の公式標識]]
 
ドイツではベルタ・ベンツの歴史的な旅行を祝ってクラシックカーによるパレードが隔年開催される。
 
2008年には[[ベルタ・ベンツ記念道・メモリアルルート]]<ref>[http://www.bertha-benz.de/indexen.php?inhalt=home Bertha Benz Memorial Route] (German-government-approved non-profit official site)</ref>は1888年のベルタ・ベンツによる世界初の自動車による長距離旅行を称えて産業遺産の道路として公式に登録された。マンハイムからハイデルベルクを経由してプフォルツハイムまで行って戻る全行程{{convert|194|km|abbr=on}}に標識がある。
 
== 出典 ==