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'''野口 健司'''('''のぐち けんじ''' [[天保]]十四年([[1843年]])~[[文久]]三年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]([[1864年]][[2月4日]]))。[[水戸藩]]出身。[[新撰組]] 副長助勤。
 
==野口の関与した事件==
 
==野口の行動傾向==
*壬生浪士のころから芹沢鴨・新見錦・平間重助・平山五郎・粕谷新五郎・佐伯又三郎らと行動を共にしていた。
*粕谷の離脱、佐伯の変死、新見の切腹、芹沢・平山の粛清および平間の逃走と、芹沢一派の人々が次々と壬生浪士・新撰組から消え、最後の一人として残っていた。
*芹沢粛清事件後も逃亡の形跡がないことから、その真相を知らなかったか、野口自身は近藤による新体制に異存がなかったものと捉えられている。
 
==野口の最期==
*最期は、切腹を命令され、無念の最期を遂げた。
*切腹命令の原因となる詳しい事跡は後世に伝わっていない。
*切腹ではなく、何らかの理由で謀殺されたという説もある。
 
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