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== 中国 ==
帝位を退いて太上皇となった例として、[[西晋]]の[[恵帝 (西晋)|孝恵帝]]、[[唐]]の[[李淵|高祖]]、[[睿宗 (唐)|睿宗]]、[[玄宗 (唐)|玄宗]]、[[北宋]]の[[徽宗]]、[[南宋]]の[[高宗 (宋)|高宗]]、[[孝宗 (宋)|孝宗]]、[[光宗 (宋)|光宗]]、[[明]]の[[英宗 (明)|英宗]]、[[清]]の[[乾隆帝]]などが挙げられる。

このうち、南宋の高宗、孝宗と清の乾隆帝は太上皇としてなお実権を保持したが、その他の太上皇は退位とともに実権を皇帝に譲っている。

また、帝位には即かなかったものの、没後もしくは存命中に子が皇帝となり王朝を開いたために太上皇の称号を贈られた例として、[[秦]]の[[始皇帝]]の父・[[荘襄王]]、[[漢]]の[[劉邦|高祖]]の父・[[劉太公]]がいる。
 
無上皇は[[北斉]]の滅亡直前の混乱の中で[[後主 (北斉)|後主]]に奉られた一例のみである。その他、[[北周]]の[[宣帝 (北周)|宣帝]]が譲位後に自ら'''天元皇帝'''と称した例がある。