「中世ラテン語」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
{{出典の明記|date=~~~~~}}
en:Medieval_Latin (oldid=732649831) から節の翻訳を追加
タグ: サイズの大幅な増減
6行目:
表記はイタリア式の「教会ラテン語」([[:en:Ecclesiastical Latin|Lingua Latina Ecclesiastica]])の発音が反映されたものに置き換わっているが、部分的に伝統的な表記も維持される場合もあり、あるいは逆に伝統的な綴りに回帰しようと[[過剰修正]]([[:en:Hypercorrection|hypercorrection]])される場合もあり、かなりの揺れがある。
 
== 影響 ==
=== キリスト教のラテン語 ===
中世ラテン語は他から自由に借用をし語彙を拡大した。[[ウルガタ]]の言語から重大な影響を受けており、これには[[ギリシア語]]と[[ヘブライ語]]からの翻訳からの大なり小なり直接的な翻訳であることの結果である、[[古典ラテン語]]にとって異質な多くの特異性を、語彙だけでなく文法および構文論においても含んでいた。ギリシア語は[[キリスト教]]の専門的な語彙の多くを提供した。南ヨーロッパに侵入したゲルマン民族が話していたさまざまな[[ゲルマン語]]もまた、新語の大きな源泉であった。ゲルマン人の指導者たちは彼らが征服したローマ帝国の一部の支配者となり、彼らの言語由来の単語を自由に法律用語にとりいれた。古典語の単語は使われなくなったため、その他多くの通常の単語が[[俗ラテン語]]またはゲルマン語起源の造語に置きかえられた。
 
[[Image:MilanBTCod470BookOfHours2FoliosAnnuncShepherdsDecortatedInit2.jpg|thumb|upright=1.3|right|時祷書の装飾写本 (Milan, Biblioteca Trivulziana, Cod. 470) は中世ラテン語の祈りを含んでいる。]]
 
ラテン語は、[[ロマンス諸語]]が話されておらず[[ローマ帝国|ローマ]]の支配に服したこともない[[アイルランド]]や[[ドイツ]]のような地域へも広まった。ラテン語が現地の土着語と無関係に学ばれたこれらの地域で書かれた著作も、中世ラテン語の語彙および構文に影響を与えた。
 
科学や哲学のような抽象的な主題はラテン語で意見交換されたため、それらによって発展したラテン語の語彙は現代の言語における専門用語の非常な大部分の源泉になっている。''abstract'', ''subject'', ''communicate'', ''matter'', ''probable'' といった英単語や、他のヨーロッパの言語におけるこれらの[[同根語]]は、概して中世ラテン語においてこれらに与えられた意味を有している<ref>J. Franklin, [http://www.maths.unsw.edu.au/~jim/mental.pdf Mental furniture from the philosophers], ''Et Cetera'' 40 (1983), 177-91.</ref>。
 
=== 俗ラテン語 ===
古典ラテン語は大いに尊重されつづけ、文章構成の模範として学ばれたけれども、[[俗ラテン語]]の影響もまた、何人かの中世ラテン語作家たちの[[構文論]]において明白である。文章語としての中世ラテン語発展が高みに達したのは、[[フランク王国|フランク]]王[[シャルルマーニュ]]の後援で促進された教育の再生である[[カロリング・ルネサンス]]のときであった。[[アルクイン]]がシャルルマーニュのラテン語秘書を務め、彼自身重要な作家である。[[西ローマ帝国]]の権威が最終的に崩壊したあとの後退期以後にラテン語の文学と学習が復興をみたのは彼の影響によってであった。
 
同時期にロマンス語への発展も起こっていたが、ラテン語そのものは非常に保守的でありつづけた。もはや[[母語]]ではなくなって、古代および中世の多くの文法書がひとつの標準形を与えていた。他方で、厳密に言うならば「中世ラテン語」なる単一の形は存在しない。中世期のすべてのラテン語著作家はラテン語を第二言語として話しており、その流暢さの程度は異なり、構文・文法・語彙はしばしば彼らの母語に影響されていた。このことはそれ以後ラテン語がますます不純になっていく12世紀ころにおいてとりわけ正しい。フランス語話者によって書かれた後期中世ラテン語文書は[[古フランス語|中世フランス語]]への、ドイツ人によって書かれたものはドイツ語へ等々の、文法と語彙の類似を示すようになる。例をあげると、一般に動詞を末尾に置くという古典ラテン語の慣行に従うかわりに、中世の著作家たちはしばしば彼ら自身の母語の慣習に従ったものだった。ラテン語には定冠詞も不定冠詞もなかったが、中世の著作家たちはときに unus の変化形を不定冠詞として、ille の変化形を(ロマンス語における用法を反映して)定冠詞として、さらには quidam(古典ラテン語では「ある、なんらかの」の意)を一種の冠詞のように用いた。esse(英語の be)が唯一の助動詞であった古典ラテン語と異なり、中世ラテン語の著作家は habere(英語の have)を助動詞として用いることがあったが、これはゲルマン語およびロマンス語における文構成に似ている。古典ラテン語における対格つき不定詞構文 (accusative and infinitive construction) はしばしば quod または quid に導かれる[[従属節]]に置きかえられた。このことはたとえばフランス語における類似の構文での que の用法とほとんど同一である。
 
8世紀後半以降のすべての時代において、これらの形や用法は「間違っている」と気づけるだけ古典語の構文論に十分親しんでいた(とりわけ教会内の)教養ある著作家たちがおり、これらの使用に抵抗していた。こうして聖[[トマス・アクィナス]]のような[[神学]]者や、[[ギヨーム・ド・ティール]]のような学識ある聖職者の歴史家のラテン語は、上述の特徴の大部分を忌避する傾向にあり、その語彙やつづりにおいて一時期を画している。列挙した特徴は、法律家(たとえば11世紀イングランドの[[ドゥームズデイ・ブック]])、医師、技術に関する著作家、世俗の年代記作家らの言語においてはるかに優勢である。しかしながら従属節を導く quod の用法はとりわけ広く普及しておりすべての層で見られる。
 
== 発音および表記 ==
以下、*を付した項目は古典語でも見られた現象(ただし、古典語では時折見られる程度だったのが、中世語では著しく増えている)。
ほか、多くの特徴は俗ラテン語に見られた特徴を受け継いだ形となっている。
 
== 発音および表記 ==
<!-- ★以下いちおう、音素表記 / / と音声表記 [ ] とは使い分けています。-->
;'''<!--古典ラテン語における-->長短母音<!--([[俗ラテン語]]における o および e の広狭に相当)-->の合流'''
45 ⟶ 62行目:
*[[ギリシア語]]から借用した[[キリスト教]]に関係する[[単語]]が多い。また[[ゲルマン語]]の単語も用いられることがある。
 
== 中世ラテン語文献 ==
中世ラテン語文献には、[[説教]]、[[聖歌]]、[[聖人伝]]、[[紀行文]]、[[歴史]]、[[叙事詩]]、[[叙情詩]]といった幅広い作品を含んでいる。
 
5世紀の前半には偉大なキリスト教著作家である[[ヒエロニムス]] (c. 347–420) と[[ヒッポのアウグスティヌス]] (354–430) の文学的活動を見ており、彼らの文章は中世の神学的思想と、後者の弟子[[アクィタニアのプロスペル]] (c. 390-455) のそれに甚大な影響を与えた。5世紀後半と6世紀初頭では、いずれもガリア出身の[[シドニウス・アポリナリス]] (c. 430 – 489) と[[マグヌス・フェリクス・エンノディウス|エンノディウス]] (474–521) が詩作によって有名であり、[[ウェナンティウス・フォルトゥナトゥス]] (c. 530–600) も同様である。これはまた伝達の時代でもあった:[[古代ローマ|ローマ]]の貴族[[ボエティウス]] (c. 480–524) は[[アリストテレス]]の[[論理学]]著作の一部を翻訳して[[東方ギリシア世界と西方ラテン世界|西方ラテン世界]]のためにこれを保存し、影響力ある文学的・哲学的論考『[[哲学の慰め]]』を著したし、[[カッシオドルス]] (c. 485–585) は[[スクイッラーチェ]]近郊の[[ウィウァリウム修道院]]に重要な図書館を設立し、そこで古代からの多くのテクストが保存されることになった。[[セビリャのイシドルス]] (c. 560-636) は彼の時代にまだ入手可能であった科学的知識のすべてを、最初の[[百科事典]]と呼びうる『語源』に集成した。
 
[[トゥールのグレゴリウス]] (c. 538–594) は[[フランク人]]の歴代の王について長大な歴史を書いた。グレゴリウスは[[ガロ・ローマ文化|ガロ・ローマ]]の貴族階級の出身で、彼のラテン語は古典形からの多くの逸脱を示しており、ガリアにおける古典語教育の重要性の衰退を証言している。同時期に、ラテン語とさらには[[ギリシア語]]までもの優れた知識が[[アイルランド]]の修道僧文化のなかに保たれており、これは[[イングランド]]やヨーロッパ本土に6世紀と7世紀を通して、たとえばイタリア北部の[[ボッビオ]]に修道院を建立した[[コルンバヌス]] (543–615) などの伝道によって伝えられた。アイルランドはまた[[ヒベルノ・ラテン語]] (Hiberno-Latin, Hisperic Latin) として知られている奇妙な詩文体の誕生の地でもあった。そのほか島の重要な著作家には歴史家[[ギルダス]] (c. 500–570) と詩人[[アルドヘルム]] (c. 640–709) がいる。[[ベネディクト・ビスコプ]] (c. 628–690) はウェアマス゠バロー二重修道院を設立し、そこに彼が[[ローマ]]への旅から持ち帰った本を提供した。これらは後に[[ベーダ・ヴェネラビリス|ベーダ]] (c. 672–735) が『[[イングランド教会史|英国民教会史]]』を書くさいに用いられることになる。
 
多くの中世ラテン語の作品が ''Patrologia Latina'', ''Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum'', ''Corpus Christianorum'' の叢書で刊行されている。
 
== 主な中世ラテン語作家 ==
=== 4世紀から5世紀 ===
* 巡礼者[[エゲリア]] (fl. 385)
* [[ヒエロニムス]] (c. 347–420)
* [[ヒッポのアウグスティヌス]] (354-430)
 
=== 6世紀から8世紀 ===
* [[ボエティウス]] (c. 480 – 525)
* [[ギルダス]] (d. c. 570)
* [[ウェナンティウス・フォルトゥナトゥス]] (c. 530 – c. 600)
* [[トゥールのグレゴリウス]] (c. 538–594)
* 教皇[[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウスI世]] (c. 540 – 604)
* [[セビリャのイシドルス]] (c. 560–636)
* [[ベーダ・ヴェネラビリス|ベーダ]] (c. 672–735)
* [[聖ボニファティウス]] (c. 672 - 754)
* [[メッスのクロデガング]] (d. 766)
* [[パウルス・ディアコヌス]] (720s - c.799)
* [[リエバナのベアトゥス]] (c. 730 - 800)
* [[ピサのペトルス]] (d. 799)
* [[アクイレイアのパウリヌス]] (730s - 802)
* [[アルクイン]] (c. 735–804)
 
=== 9世紀 ===
* [[アインハルト]] (775-840)
* [[ラバヌス・マウルス]] (780-856)
* [[パスカシウス・ラドベルトゥス]] (790-865)
* [[フルダのルドルフ]] (d. 865)
* [[ドゥオダ]]
* [[フェリエールのルプス]] (805-862)
* [[アンドレアス・アグネルス]](ラヴェンナのアグネルス)(c. 805-846?)
* [[ヒンクマル]] (806-882)
* [[ヴァラフリド・ストラボ]] (808-849)
* [[リヨンのフロルス]] (d. 860?)
* [[ゴットシャルク]] (808-867)
* [[セドゥリウス・スコトゥス]] (fl. 840-860)
* [[アナスタシウス (対立教皇)|アナスタシウス・ビブリオテカリウス]] (810-878)
* [[ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ]] (815-877)
* [[アッサー]] (d. 909)
* [[ノトケル・バルブルス]] (840-912)
 
=== 10世紀 ===
* [[ラテリウス]] (890–974)
* [[メルゼブルクのティートマール]] (975–1018)
 
=== 11世紀 ===
* [[マリアヌス・スコトゥス]] (1028–1082)
* [[ブレーメンのアダム]] (fl. 1060–1080)
* [[レンヌのマルボドゥス]] (c. 1035-1123)
 
=== 12世紀 ===
* [[ピエール・アベラール]] (1079–1142)
* [[シュジェール]] (c. 1081–1151)
* [[モンマスのジェフリー]] (c. 1100 – c. 1155)
* [[リーヴォーのアエルレドゥス]] (1110–1167)
* [[フライジングのオットー]] (c. 1114–1158)
* [[アルヒポエータ]] (c. 1130 - c. 1165)
* [[ギヨーム・ド・ティール]] (c. 1130-1185)
* [[ブロワのペトルス]] (c. 1135 – c. 1203)
* [[シャティヨンのゴーチェ]] (fl. c. 1200)
* [[サン・ヴィクトールのアダン]] (d. 1146)
 
=== 13世紀 ===
* [[ウェールズのジェラルド]] (c. 1146 – c. 1223)
* [[サクソ・グラマティクス]] (c. 1150 – c. 1220)
* [[セラノのトーマス]] (c. 1200 – c. 1265)
* [[アルベルトゥス・マグヌス]] (c. 1200–1280)
* [[ロジャー・ベーコン]] (c. 1214–1294)
* [[トマス・アクィナス]] (c. 1225–1274)
* [[ラモン・リュイ]] (1232–1315)
* [[ブラバントのシゲルス]] (c. 1240–1280s)
* [[ドゥンス・スコトゥス]] (c. 1266–1308)
 
=== 14世紀 ===
{{see also|ルネサンス期ラテン語}}
 
* [[ラヌルフ・ヒグデン]] (c. 1280 - c. 1363)
* [[オッカムのウィリアム]] (c. 1288 - c. 1347)
* [[ジャン・ビュリダン]] (1300 – 1358)
* [[ハインリヒ・ゾイゼ]] (c. 1295 - 1366)
 
== オンラインのリポジトリ ==
* Corpus Corporum ([http://mlat.uzh.ch/MLS/index.php?lang=0 mlat.uzh.ch])
* Corpus Thomisticum ([http://www.corpusthomisticum.org/iopera.html corpusthomisticum.org])
* LacusCurtius ([http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/home.html penelope.uchicago.edu])
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
* K.P. Harrington, J. Pucci, and A.G. Elliott, ''Medieval Latin'' (2nd ed.), (Univ. Chicago Press, 1997) ISBN 0-226-31712-9
* F.A.C. Mantello and A.G. Rigg, eds., ''Medieval Latin: An Introduction and Bibliographical Guide'' (CUA Press, 1996) ISBN 0-8132-0842-4
 
; 辞典
* Du Cange et al., [http://ducange.enc.sorbonne.fr/ Glossarium ad scriptores mediæ et infimæ latinitatis], Niort : L. Favre, 1883–1887, [[Ecole des chartes]].
* Thesaurus Linguae Latinae
 
{{ロマンス諸語}}