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[[Image:Robert Watson-Watt.JPG|thumb|300px|Robert Watson-Watt]]
'''ロバート・ワトソン
[[スコットランド]]の[[アンガス (スコットランド)|アンガス]]に生れた。[[ジェームズ・ワット]]の子孫である。当時[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]]の一部だった[[ダンデー大学]]で工学を学び、[[ウィリアム・ペディー]]の助手になり、無線通信の研究を行った。[[1915年]]国の気象観測の機関に入り、[[雷雲]]の観測に無線通信の技術を応用する研究を行った。落雷で発生する電磁波を無線機で検出し、その方向を知るために指向性のアンテナと、蓄光性の[[オシロスコープ]]を使うことにより、[[1923年]]には実用化された。その後国立物理研究所などで研究を続けた。
[[1934年]]、[[ナチス・ドイツ]]が電磁波を使った[[殺人光線]]を開発したという話から、その実現可能性を政府に訊かれたワトソン
[[1948年]]に[[ヒューズ・メダル]]、[[1957年]]に{{仮リンク|エリオット・クレッソンメダル|en|Elliott Cresson Medal}}を受賞した。
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