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{{出典の明記|date=2012年6月}}
[[Image:Robert Watson-Watt.JPG|thumb|300px|Robert Watson-Watt]]
'''ロバート・ワトソン=ワット'''({{langLang|en|Sir Robert Alexander Watson-Watt}}、[[1892年]][[4月13日]] - [[1973年]][[12月5日]])は、[[イギリス]]の[[無線通信]]・[[レーダー]]の研究家で、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側の[[レーダーサイト|防空レーダー]]発明者である。
 
[[スコットランド]]の[[アンガス (スコットランド)|アンガス]]に生れた。[[ジェームズ・ワット]]の子孫である。当時[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]]の一部だった[[ダンデー大学]]で工学を学び、[[ウィリアム・ペディー]]の助手になり、無線通信の研究を行った。[[1915年]]国の気象観測の機関に入り、[[雷雲]]の観測に無線通信の技術を応用する研究を行った。落雷で発生する電磁波を無線機で検出し、その方向を知るために指向性のアンテナと、蓄光性の[[オシロスコープ]]を使うことにより、[[1923年]]には実用化された。その後国立物理研究所などで研究を続けた。
 
[[1934年]][[ナチス・ドイツ]]が電磁波を使った[[殺人光線]]を開発したという話から、その実現可能性を政府に訊かれたワトソン=ワットはこれを否定した。[[1935年]]電磁波による航空機の探知システムを航空省に提案した。秘密の実験が2月から行われ、その可能性が認められたので、4月には[[特許]]が認められた。6月には27kmまで探知でき、その年の終わりには探知距離は100kmまで伸びた。[[1937年]]までには迎撃システムを作り上げた。[[1941年]]にはレーダー研究を始めた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に渡った。レーダーの開発の功績により[[1942年]][[ナイト]]となり、50,000[[スターリングポンド|ポンド]]50,000の報酬を与えられた。
 
[[1948年]]に[[ヒューズ・メダル]]、[[1957年]]に{{仮リンク|エリオット・クレッソンメダル|en|Elliott Cresson Medal}}を受賞した。