「ガイウス・ユリウス・カエサル」の版間の差分

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* [[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]の『[[博物誌]]』<ref>第7巻 9章 47節。http://penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman/Texts/Pliny_the_Elder/7*.html</ref>によれば、ラテン語で「切る」という意味の{{lang|la|caedere|}}に由来し、「切り取られた者」すなわち[[ユリウス氏族]]の「分家」であることを示す<ref>大プリニウスは同じ箇所でカエサルが[[帝王切開]]で生まれたとも記しているが、これは「切り取られた者」を掛けた駄洒落と解すべきであるが、これが俗説として広まった。古代ローマにおける帝王切開は、妊婦が何だかの理由で死去した際に、切開して胎児を救う事を目的としたものであるが、カエサルが長じてから生母アウレリアに宛てた書簡が存在することから、実際にカエサルが帝王切開で生まれた可能性は極めて低い。</ref>。なお、同書の記述を誤読した[[イシドールス]]の『語源』によって、後に[[帝王切開]]の誤訳が生まれた<ref>立川清編『医語語源大辞典』p644</ref>。
 
*『[[ローマ皇帝群像]]』においては、以下の34つが挙げられている<ref>{{cite book|url=http://penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman/Texts/Historia_Augusta/Aelius*.html|title=Historia Augusta|volume=Helius 2:3}}</ref>
** 戦争で象([[マウレタニア|マウリ人]]の言葉、おそらく[[フェニキア語]]で{{lang|ph|caesai|カエサイ}})を殺した説<ref>{{cite book|url=http://penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman/Texts/Historia_Augusta/Aelius*.html|title=Historia Augusta|volume=Helius 2:3}}</ref><ref>カエサル自身は自らの横顔を刻ませたコインの裏に象を描かせていることから「象」説を採っていたとも考えられる。</ref>
** 母の死後、切開して生まれた(上記参照)
** 最初にカエサル姓を名乗った人物が頭の毛がふさふさしていた({{lang|la|caesaries|カエサリエス}})説<ref>[[イシドールス]]の『語源』ではカエサル自身の頭髪が生まれつき豊かだった可能性に言及しているが、成人後のカエサルはむしろ薄毛を揶揄されることが多かった。</ref>
** 灰色の瞳({{lang|la|oculis caesiis|オクリス・カエシイス}})をしていた説
** 戦争で象([[マウレタニア|マウリ人]]の言葉、おそらく[[フェニキア語]]で{{lang|ph|caesai|カエサイ}})を殺した説<ref>{{cite book|url=http://penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman/Texts/Historia_Augusta/Aelius*.html|title=Historia Augusta|volume=Helius 2:3}}</ref><ref>カエサル自身は自らの横顔を刻ませたコインの裏に象を描かせていることから「象」説を採っていたとも考えられる。</ref>
 
ユリウス氏族[[カエサル家]]は、このように古い系譜を有する名門の貴族([[パトリキ]])であったが、共和政が樹立されてからカエサルの誕生までにコンスル経験者が3人と、他のパトリキに比べ見劣りしていた。そのうちの1人がユリウス市民権法を成立させて[[同盟市戦争]]終結を加速させた伯父の[[ルキウス・ユリウス・カエサル (紀元前90年の執政官)|ルキウス]]である。