削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
64行目:
[[1986年]]、[[ゲゲゲの鬼太郎]]に影響を受け、同人サークル「鬼太郎座」を結成。同人ダイナビジョン<ref>アニメ一歩手前状態となる紙芝居映像の事。現在の[[Flashアニメ]]に近いもの</ref>作品『女禍』を企画。交流のあった業界人らや鬼太郎ファンを巻き込み、自ら監督を引き受ける(「伊藤勇'''鬼'''子」名義)。この活動において人脈を頼り[[水木しげる]]および[[田の中勇]]と機知を得て[[スーパーバイザー]]を依頼し指導を受ける。また同作に[[猫娘]]役として参加したのが後の[[夢来鳥ねむ]]である。[[1989年]]に同人ダイナビジョン『女禍』が完成し一度限りの上映に至り、鬼太郎座解散。ただし別サークル「月読温泉旅行倶楽部」を結成し『女禍』参加メンバーの継続交流の場とした。
 
[[1989年]]に夢来鳥ねむが[[漫画家]]としてデビューしたことから、彼女の上京の面倒を見るとともに、設定やストーリープロットなどの相談を受けるなど、実質的な共同作業者となっていった。この事から[[1995年]]、『月読温泉旅行倶楽部』を前身に、'''創作集団[[ら・むうん]]'''を結成したなお前年となる1994年に次男を出産している。以降、[[漫画原作者]]として夢来鳥との二人三脚がスタートする。[[2004年]]、後述する闘病の事情から自身や夢来鳥の作品の著作権管理法人として、任意団体であった「ら・むうん」を「有限会社La・Moon」へと法人化し、自ら代表取締役に就任する。
 
[[2010年]]前後に[[情報技術]]の進歩から、アニメーション制作におけるフィルム編集の意義が薄れてきた事、また後述する自身の闘病を理由として映像編集技師としての引退を公表。