「ダルムシュタット夏季現代音楽講習会」の版間の差分

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[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけては、[[フライブルク音楽大学]]を中心とする[[ヘルムート・ラッヘンマン]]や[[ブライアン・ファーニホウ]]などの新たな世代の作曲家が講師として活躍し、[[ハリー・ハルブライヒ]]らが理論を支え[[ポスト構造主義]]や[[新しい複雑性]]など新たな潮流をこの講習会で発信するきっかけともなった。前者を[[シュトゥットガルト楽派]]、後者を[[フライブルク楽派]]とも呼ぶ。1980年代以降は国際化がさらに推し進められ、前衛不毛と称された国々から次々と賞を狙う音楽家がダルムシュタットに集った。名ヴァイオリニストの[[アーヴィン・アルディッティ]]は中学生で講習会に参加し、その数十年後にはヴァイオリンの講師として後進を指導している。
 
1970年代に入ると、シュトックハウゼンやブーレーズといった作曲家が作曲あるいは指揮専業のため教える時間を確保する事が難しくなったため、隔年開催へ移行した。当初は奇数年だったが、現在は偶数年に行われている。そのほか、[[フランクルト音楽大学]]、[[ミュンヘン音楽・演劇大学]]、[[ベルリン芸術大学]]で教鞭をとっている作曲家やその門下生も続々と集まり、門下生同士の戦いが顕在化した。これは当初、演奏部門のみであったクラーニヒシュタイン音楽賞が作曲部門にも拡大したからである。[[エルンスト・トマス]]時代は1980年代初頭まで続いた。
 
== ホンメル時代 ==