「1998年ベルギーグランプリ」の版間の差分

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55分間におよぶ赤旗中断の後にレースは再開されたが、2台とも多重事故の巻き添えとなったプロスト、アロウズ、ティレルはそれぞれトゥルーリ、ディニス、虎之介がスペアカーに乗ったため、パニス、サロ、ロセットは再スタートをきることができなかった。またバリチェロも再スタートを断念している。
 
再スタート後も波乱はやまず、まずは1コーナーでハッキネンとシューマッハが接触しハッキネンがスピン<ref>1コーナーにあるマンホールに乗り上げてスピンしたとも言われている。</ref>、そこにザウバーのハーバートが突っ込み両者リタイアとなった。さらにマルメディコーナーでクルサードとブルツが絡んで両者グラベルに飛び出し、ブルツはリタイア。クルサードは何とかコースに復帰するが、優勝争い上位陣とのタイム差は絶望的ってしでに拡大した。この時にハッキネン、ハーバート車の事故処理の為に[[セーフティーカー]]が入った。
 
その後処理が終わり、2回目のリスタート。最初のリスタートでトップを奪った[[ジョーダン・グランプリ|ジョーダン]]の[[デイモン・ヒル]]が堅実にトップを死守する。しかし7周目には、フェラーリの[[ミハエル・シューマッハ]]がバスストップシケインでヒルを抜いてトップに立った。
 
シューマッハは周回を重ねて、2位のヒルとの差をどんどん広げてゆく。しかし25周目、トップを走行していたシューマッハが周回遅れのクルサードを抜こうとした際に、シューマッハのマシンの右前輪とクルサードの左後輪が接触する形で追突した。シューマッハの右前輪はロッドごと吹っ飛び、フロントウィングも失った。クルサードはリアウィングを失った。両者はそのままピットに戻りガレージに車を入れ、シューマッハは無念のリタイアとなった。シューマッハはクルサードのブレーキングが故意であったとして激怒、マシンを降りるなりマクラーレンのピットに「俺を殺すつもりか」と怒鳴り込む一面もあった<ref name="F1Racing JP 201005">{{Cite book|和書|title=F1RACING 2010年5月情報号|year=2010|publisher=[[三栄書房]]|pages=p.67|id=ISBN 9784779609138}}</ref>、評議会にも訴えたが「クルサードに故意は認められない」として却下された。シューマッハの追突と同一周、チームメイトのアーバインも濡れた路面に足を取られスピンし、グラベルに飛び出してしまいリタイアとなった。これでトップは再びヒルと変わった。
 
しかし波乱はこれけでは終わらない。続き、今度は26周目、バスストップシケイン手前でベネトンのジャンカルロ・フィジケラが周回遅れの中野信治と追突。派手にマシンの残骸が飛んだ。当時ピットロードへはバスストップシケイン入口から直進する形で進入する構造になっており、普通にシケインを曲がろうとしていて減速していた中野のマシンに対し、ピットインしようとしていたフィジケラがウォータースクリーンで前が見えない状態で突っ込んでしまったのである。フィジケラは左右のフロントタイヤが外れ、コーンをなぎ倒しようやく止まる。だが、またたく間にマシンがエンジン部分から炎上し、フィジケラは急いでコクピットから離れた。中野もリア周辺を壊し、ガレージにマシンを入れた。2度目のセイフティーカーが入った。このセイフティカーが出ている間にクルサードと中野はマシンを修復しレースに復帰した。この時点でレースを続けていたのはクルサードと中野を含めわずか8台。両者は復帰時にトップから5周遅れ・6位のトゥルーリから3周遅れで、コース上で順位を挽回できる可能性はまずなかったが、クラッシュなどでリタイアする車があれば6位以内になりポイントを獲得できる可能性があったからである。
 
トップのヒルと2位の[[ラルフ・シューマッハ]]は終盤、チームメイト同士の接近戦となった。そこでヒルが無線でチームに順位のキープを呼び掛け、ラルフに対して[[チームオーダー]]が発令されたため、ヒルを抜くことはなかった<ref>{{Cite web|url=http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/72657.html |title=トップ10:チームオーダー |publisher=ESPN F1|accessdate=2012-03-12}}</ref>。
 
結局、この大荒れのレースを制したのはデイモン・ヒル、2位にラルフ・シューマッハが入り、ジョーダンは参戦8年目にして悲願の初優勝を1-2フィニッシュで飾った。ヒルにとってはウィリアムズ以外で唯一を離れた後に挙げた初めての優勝となり、結果的にキャリア最後の優勝となった。3位はザウバーのジャン・アレジ。ザウバーでの初表彰台となった。4位はウィリアムズのハインツ=ハラルド・フレンツェン、5位はアロウズのペドロ・ディニス、6位は2周遅れでプロストのヤルノ・トゥルーリだった。日本人では中野信治が8位扱い。高木虎之介はリタイアだった。
 
=== 結果 ===