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ひななみ (会話 | 投稿記録)
基本情報補完
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しかし、次官が上院で構想を発表すると、ムッソリーニは15,000トン空母新造案を却下する。この頃、イタリア軍では地中海沿岸への新型爆撃機や雷撃機の配備が進んでおり、加えて[[スペイン内戦]]でイタリア義勇航空隊が[[スペイン海軍]]の[[エスパーニャ級戦艦]]「ハイメ一世」を爆撃するなどの活躍が報じられており、それら航空戦力でイタリア海軍艦隊へのエアカバーは充分と判断されたものと推測される。ただし、新造案却下の一方で客船「ローマ」の改装計画続行が認められ、改装作業が進められることになった<ref>丸 2014年10月号 瀬名堯彦 p142</ref>。
 
その後も海軍は新造空母の取得は諦めず、1939年9月に再び15,000トン案2隻の建造を議会に提出した。イタリア国内ではイタリア空軍が[[魚雷]]の予算について政府との論争が続き、海軍の要望を政府が聴取していた。この折に海軍計画の進捗が明らかになった。新戦艦の後期グループである「ローマ」と「インペロ」が1939年に進水するとともに新造空母2隻は1940年に発注して1943年から1944年の竣工の予定であるとされた。この他に新型軽巡洋艦「[[コスタンツォ・チャーノ級軽巡洋艦|コスタンツォ・チアノ級]]」2隻の建造も予定していた。
 
しかし、折から[[ドイツ軍]]の[[ポーランド]]侵攻により[[第二次世界大戦]]が勃発、イタリアは中立を宣言していたものの戦争介入への可能性は高まっていた。イタリア海軍としては航空母艦の整備を急ぐ必要もあったため、結局は客船「ローマ」と「アウグストゥス」の空母への改装方針がより固められることになった。この時期には「ローマ」はアメリカから呼び戻されており、開戦後の戦いにおいて、洋上でのイタリア空軍の支援が受けられない不満から自ずと航空母艦の重要性を感じた海軍は、この時期に及んで航空母艦を求めた。<ref>丸 2014年10月号 瀬名堯彦 p143</ref>。
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== 艦形 ==
[[File:RN Aquila 1945 Genova.jpg|thumb|left|200px|1946年にジェノバ港で撮られた本艦。アイランドの構造が良く判る構図。]]