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[[画像:Olympic flame at opening ceremony.jpg|thumb|300px|[[アテネオリンピック (2004年)|2004年アテネ大会]]の聖火]]
'''オリンピック聖火'''(オリンピックせいか、{{lang-en-short|Olympic Flame}}、{{lang-fr-short|Flamme olympique}})は、[[国際オリンピック委員会]]の権限の元、[[ギリシャ]]の[[オリンピア (ギリシャ)|オリンピア]]でともされる[[火]]のことであり、[[近代オリンピック|オリンピック]]の[[象徴]]である。
 
== 概要 ==
オリンピック大会開催期間中、[[オリンピック・スタジアム|主競技場]]でともされ続ける。その起源は[[古代ギリシア]]時代に遡り、[[ギリシア神話]]に登場する[[プロメーテウス]]が[[ゼウス]]の元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、[[古代オリンピック]]の開催期間中にともされていた。聖火は、[[1928年]]の[[アムステルダムオリンピック]]で再び導入されて以来、[[近代オリンピック]]の一部であり続けている。
 
なお、現在の'''聖火リレー'''は、[[1936年]]に[[ドイツ]]の[[ベルリン]]で開催された[[ベルリンオリンピック]]で導入された。
 
== 採火と聖火リレー ==
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1976-116-08A, Olympische Spiele, Fackelläufer.jpg|thumb|right|220px|ベルリンオリンピックの聖火リレー]]
伝統的に、'''聖火は[[オリンポス山]]で太陽を利用して採火され、'''聖火ランナーによってオリンピック開催地まで届けられる。
 
近年では、オリンピックの開会式が行われる数ヶ月前に、古代オリンピックが行われていた[[ギリシャ|ギリシア]]の[[オリンピア (ギリシャ)|オリンピア]]における[[ヘーラー]]の神殿跡で採火されている。聖火トーチへは、太陽光線を一点に集中させる凹面鏡に、[[炉]]の女神[[ヘスティアー]]を祀る11人の(女優が演じる)巫女がトーチをかざすことで火をつけている。なおこの儀式の本番は非公開とされており、テレビ等で見られる採火の場面はマスコミ向けの“公開リハーサル”である。
 
その後、聖火は聖火リレーによってオリンピック開催都市まで運ばれる。聖火ランナーには、スポーツ選手や有名人だけでなく一般人も参加している。
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開会式当日、聖火リレーは大会のメイン会場となる競技場に設置された聖火台に点火される。
 
かつては最終ランナーが階段などで聖火台へ向かって走りより、トーチから聖火台に火を移すことが一般的であったがアーチェリーの矢、スキージャンパー、競技場に設置された花火など近年は様々な趣向が凝らされるようになってきている。多くの場合、最終ランナーや点火の「仕掛け」は最後の瞬間まで秘密にされ、一般的に開催国の有名スポーツ選手が務める。聖火台に火をともすことは、大変栄誉なことと考えられている。聖火台に点灯された聖火はこの点灯を通して大会の開会とされ、そのオリンピックの開催期間中ともされ続け閉会式の最後に消灯される。
 
2014年大会までの過去の近代五輪の聖火リレーの燃料はすべて、プロパンガスともいわれる<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/1613599.html 石巻に世界初バイオガス聖火 東京五輪へ実験成功] - 日刊スポーツ、2016年3月7日</ref>。
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[[近代オリンピック]]では、1928年まで聖火は見られなかった。[[オランダ]]の建築家[[ヤン・ヴィルス]]は、1928年の[[アムステルダムオリンピック]]にあたって、オリンピックスタジアムの設計に塔を取り入れ、火が燃え続けるというアイディアを盛り込んだ。これが評価されウィルスは建築部門で金メダルを受賞している。1928年[[7月28日]]、アムステルダム電気局の職員が、地元では[[KLM]]の灰皿として知られている、いわゆる"マラソンタワー"と呼ばれる塔に最初の聖火をともした。
[[ファイル:Olympic Fire in Berlin 1936.jpg|220px|thumb|ベルリンオリンピックの聖火<br/>[[ジョセフ・ジンドリック・サクトーリ]]撮影]]
この聖火というアイディアは熱い注目を浴び、オリンピックの象徴として取り入れられた。
===夏季オリンピック ===
1936年の[[ベルリンオリンピック]]では、[[ドイツ]]のスポーツ当局者でスポーツ科学者の[[カール・ディーム]]が聖火リレーを発案した。ギリシャの[[コンスタンティン・コンディリス]](Konstantin Kondylis)を第一走者とし、3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアから[[ベルリン]]まで運んだ。ドイツの陸上選手だった[[フリッツ・シルゲン]](Fritz Schilgen)が最終ランナーで、競技場で聖火をともした。聖火リレーもまた、オリンピックの一部となった。
 
[[1948年]]の[[ロンドンオリンピック (1948年)|ロンドンオリンピック]]では[[イギリス海峡]]を渡るために初めて船が使われ、[[1952年]]の[[ヘルシンキオリンピック]]では初めて飛行機が使われた。[[1956年]]の[[メルボルンオリンピック]]の際には、開催国である[[オーストラリア]]の厳しい[[検疫]]の関係で[[馬術]]競技が隔離して開催され、馬術競技が開催された[[ストックホルム]]へは、馬に乗って聖火が運ばれた。
 
また回を経るごとに凝った演出が用いられ、1968年の[[メキシコシティオリンピック]]では聖火が大西洋を渡る事になったが、その移動に船を利用し、その航路は[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]のアメリカ大陸行きルートをそのまま辿った。
注目すべき輸送手段として、[[1976年]]の[[モントリオールオリンピック]]の時には、聖火を電子[[パルス]]に変換する試みがあった。このパルスを[[アテネ]]から[[人工衛星|衛星]]を経由して[[カナダ]]まで送り届け、[[レーザー]]光線で再点火が行われた。
 
他の輸送手段としては、[[ネイティブアメリカン]]の[[カヌー]]や[[ラクダ]]、[[コンコルド]]も挙げられる。
 
[[2000年]]の[[シドニーオリンピック]]では[[グレートバリアリーフ]]の海中を[[潜水士|ダイバー]]によって移動され、史上初めての海中聖火リレーとなった。
 
[[2004年]]の[[アテネオリンピック]]の時には、78日間にわたる初の世界規模の聖火リレーが行われた。聖火は、およそ11,300人の手によって78,000kmの距離を移動し、この中で初めて[[アフリカ]]と[[中南米]]に渡り過去のオリンピック開催都市を巡り、[[2004年]]のオリンピック開催地であるアテネまで戻ってきた。
 
[[2008年]]の[[北京オリンピック]]では世界135都市を経由し、標高8848mで世界最高峰の[[エベレスト山|エベレスト]]山頂を通過した。しかし、[[アルゼンチン]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[フランス]]・[[イギリス]]・[[オーストラリア]]・[[インド]]・[[日本]]・[[大韓民国|韓国]]など世界各国では中国の[[チベット]]弾圧に対する抗議デモなどの影響で三度ほど聖火を消したり、予定されていたルートを変更する国が続出する事態となった。また、[[長野市]]で聖火リレーが行われた日本では[[善光寺]]がスタート地点としての利用を取りやめにしたほか、公式スポンサーのレノボジャパン、日本サムスン、日本コカ・コーラ三社が広告掲示を取りやめ(三社ともチベット問題を理由とはしていない)るなど混乱が生じた。詳細は[[北京オリンピックの聖火リレー]]を参照。
 
[[2009年]]3月26日、[[国際オリンピック委員会|国際オリンピック委員会(IOC)]]は、北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかったことを受け、今後の五輪開催に伴う聖火リレーは主催国内のみで行い、世界規模の聖火リレーを廃止することを決めた。
 
[[2016年]]の[[リオデジャネイロオリンピック]]では国内約270都市を経由したが資金難などで聖火リレーを辞退したり、一部で妨害などが発生した<ref>{{Cite web|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ837XHMJ83USPT00F.html|author=山本秀明|title=聖火リレーを辞退した街 「金がかかる五輪いらない」|work=朝日新聞デジタル|date=2012-08-04|accessdate=2016-08-15}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3095622|author=Sebastian Smith|title=聖火リレー、暴動で一時中断 リオ五輪|work=AFPBB News|date=2012-07-28|accessdate=2016-08-15}}</ref>。
 
=== 冬季オリンピック ===
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[[1956年]]の聖火リレーは[[ローマ]]からスタートとなった。この年を除き、冬季オリンピックの聖火リレーはオリンピアからスタートしている。
 
[[1998年]]の[[長野オリンピック]]ではリレー用トーチの設計が悪く、特に前傾させると走行風で聖火が消えるトラブルが頻発した。失火させないよう、垂直、あるいはやや後傾させた場合は燃料が垂れ、火傷の原因となるなど事前のテスト不足が指摘された。
 
[[2014年]]の[[ソチオリンピック]]では、史上初となる聖火の宇宙リレーも検討していることが2013年1月に発表された<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20130114-OYT1T00479.htm 史上初!聖火を宇宙に…ソチ五輪委が計画発表 YOMIURI ONLINE(読売新聞)]</ref>。
 
== 歴代最終聖火ランナー ==
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* [[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]では、[[パラリンピック]]の[[アーチェリー]]選手[[アントニオ・レボジョ]]が、スタジアムの端に位置する聖火台へ火矢を放つ方法で点火した。
* [[1994年]]の[[リレハンメルオリンピック]]のスタジアムにはスキージャンパーによって聖火がもたらされた。
* [[1998年]]の[[長野オリンピック]]では開会式場の外側に立つ聖火台にどうやって点火するのか話題となったが、[[十二単]]をモチーフにした衣装を身にまとった伊藤みどりが会場内のエレベーターでせりあがり、聖火台に近づいて火をつけた。
* [[2000年]]のシドニーオリンピックでは、池の中にフリーマン自身が入りトーチをぐるりと1周回して点火、その火がせり上がった
* [[2002年]]のソルトレイクシティ大会では、全員でトーチを持って聖火台に火をつけた。
* [[2004年]]のアテネ大会では、聖火台がお辞儀する様に点火した。
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* [[2008年]]の北京大会では、ワイヤーロープを繋いだ李寧が、スタンド最上段に張り巡らされた大型スクリーンの上を疾走するという演出を行い、聖火台直下にあった鉄パイプに点火した。
* [[2010年]]のバンクーバー大会では、地面から4本の支柱が伸び4人のランナーが同時に点火する予定だったが、機械の故障で1本が上がらず3本で点火する形となった。しかし閉会式でこのハプニングを逆手に、ピエロがプラグを繋いで引き揚げるという演出がなされ、開会式では点火出来なかった[[カトリオナ・ルメイ・ドーン]]が点火している<ref>[http://www.asahi.com/sports/update/0301/TKY201003010142.html 聖火台の柱、やっとそろった 失敗を逆手に演出]asahi.com 2010年3月1日</ref>。また、この大会では会場外の聖火台にも点火されている。
* [[2012年]]のロンドン大会では、競技場の中央に長い棒が放射状に設置され、その先がカラーの花のようになった参加国の数と同じ204本のトーチに点火。するとトーチが自動的に立ち上がり、すべてが垂直に起立して一つの巨大な聖火台を構成した。
 
== 聖火台 ==
聖火台及びその支柱はユニークで大胆なデザインとされることが多く、これらは開会式の間に点火される方法にも関係している。1992年の[[バルセロナオリンピック]]では、火をともすための火矢が聖火台に向かって[[アーチェリー]]から放たれた。1996年の[[アトランタオリンピック]]では、聖火台は赤と金で飾られた芸術的な巻物のようだった。同年の[[アトランタパラリンピック|パラリンピック]]では、半身不随の登山家が聖火台から垂れ下がったロープを登って点火した。
 
建築家の[[伊東豊雄]]によると2016年時点で、複数回同一の都市で開催されたオリンピックを含めて同じ聖火台が2度使われた例は無いという<ref>[http://news.infoseek.co.jp/article/gendainet_305849/ 新国立“聖火台”の置き場なし B案の建築家が疑問「不自然」] - Infoseekニュース(日刊ゲンダイ / 2016年3月6日)</ref>。
 
国際オリンピック委員会(IOC)はガイドラインで、聖火台を「競技場の観客全てから見える場所に設置」「期間中は競技場の外にいる人々からも見えるように設置」と原則として定めているが、近年は例外も出ている。2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年)#聖火の点灯|ロンドンオリンピック]]では点火後に競技場の観客席の前部に移設し、外からは見えない状態だった<ref>[http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160312/ddm/002/050/128000c <!-- http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/03/12/20160312dd0phj000046000p/9.jpg -->新国立競技場:JSC、聖火台も「失点」 検討初会合] - 毎日新聞、2016年3月12日 東京朝刊</ref>。
 
=== 1964年の東京オリンピックの聖火台 ===
1964年の[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]では、その前哨戦となる[[アジア競技大会]](1958年)に間に合わせるために聖火台の製作を[[鋳物]]づくりの名工とうたわれた[[鈴木萬之助]]が請け負ったが湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなってしまう<ref>田村崇仁「[http://www.47news.jp/topics/sportscolumn/2009/11/post_140.php 聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語]」『スポーツリレーコラム』47NEWS、2009年11月4日</ref><ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0044.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>]」『スポーツのエクセレンス』第44話、日本トップリーグ連携機構</ref>。しかし萬之助の息子にあたる[[鈴木文吾]]が不眠不休で第二の聖火台を製作して一ヶ月の作業の後、何とかアジア競技大会に間に合わせた<ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0045.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<後編>]」『スポーツのエクセレンス』第45話、日本トップリーグ連携機構</ref>。文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。
 
この聖火台は文吾の手により製作者名として父・萬之助の名が彫り込まれ、[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]が解体されるまで置かれており2015年に[[宮城県]][[石巻市]]に一時貸与され、新国立競技場建て替えの間、石巻市総合運動公園に設置されることとなった<ref>[http://www.sankei.com/life/news/150618/lif1506180016-n1.html 五輪の聖火台、被災地に 地元「復興のシンボルになる」 宮城・石巻] 産経新聞 2015年6月18日閲覧</ref>。また、萬之助の聖火台も修繕を経て作業場のあった[[川口市]]に置かれている。
 
== 炬火 ==
[[画像:Okayamakokutai Kyoka.JPG|thumb|220px|right|[[第60回国民体育大会|第60回国体]]総合開会式より]]
炬火(きょか)とは松明(たいまつ)のことである。
 
日本では[[国民体育大会]]と[[全国健康福祉祭]](ねんりんピック)において炬火リレーが行われている。
 
国民体育大会では開催地独自に採火されることが決まっていて、開催直前にひとつに集火され開会式において点火される。また、[[全国障害者スポーツ大会]]においても同様となる。
 
全国健康福祉祭では総合開会式場にて採火され、その場で炬火リレーが行われ三世代のランナーで炬火台に点火される(第17回群馬大会より)。
 
例外としては[[全国高等学校総合体育大会]][[熊本県|熊本]]大会[[2001年|2001]]ひのくに新世紀総体にて炬火が点火された。
=== 炬火台 ===
炬火台の点火方法は原則として炬火ランナー2名が階段に登り、その場で点火されるが、[[1998年]]の[[第53回国民体育大会|かながわ大会]]([[横浜国際総合競技場|日産スタジアム]])では史上初の8名による炬火点火が行われ、導火線を伝わった白煙の中からの勢いで炬火台に付いた。
 
== トーチ ==