「サムイル・フェインベルク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
{{単一の出典|date=mar 2015}}
{{未検証|date=mar 2015}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''サムイル・エヴゲニエヴィチ・フェインベルク'''({{lang-ru|Самуил Евгеньевич Фейнберг}} ; Samuil Evgenyevich Feinberg, [[1890年]][[5月26日]] - [[1962年]][[10月22日]])は[[ソビエト連邦]]の[[ユダヤ系]][[ピアニスト]]・[[作曲家]]。[[1938年]]にイザイ国際コンクールの審査員に選出された
 
== 略歴 ==
[[ウクライナ]]に生まれるが、4歳で[[モスクワ]]に移る。[[パーヴェル・パプスト]]の高弟[[アレクサンドル・ゴリジェンヴェイゼル]]に師事。恩師ゴリジェンヴェイゼルは、同世代の[[アレクサンドル・ジロティ]]や[[セルゲイ・ラフマニノフ]]らと同じく、19世紀末のロシア・ピアノ楽派の伝統に連なるピアニストであり、演奏技巧と美音、広い知識に加えて普遍的で温かな表現で知られた。フェインベルクは、ロシアでは珍しくピアノのペダルを多用したバッハ演奏で知られている。<ref>これを継承したのが[[タチアナ・ニコラーエワ]]である。</ref>とりわけ熱心な取り組みを見せたのが[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の《[[平均律クラヴィーア曲集]]》である。これを全曲演奏し、またバッハのオルガン曲(分けてもコラール)をピアノ用に編曲しただけでなく、録音にも残した。
 
バッハ以外のレパートリーでは、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]を得意とし、録音にも残したが、フェインベルクがとりわけ得意としたのが[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]であった。[[1938年]]にはイザイ国際コンクールの審査員に選出された。
 
== 作品 ==
40 ⟶ 38行目:
*Op. 45: Rhapsody on Kabardino-Balkarian Themes (1961)
*Op. 48: Piano Sonata No. 12 (1962)
 
===ピアノ協奏曲===
*Op. 20: Piano Concerto No. 1 in C Major (1931)
*Op. 36: Piano Concerto No. 2 (1944)
*Op. 44: Piano Concerto No. 3 in C Minor (1947)
 
===歌曲===
*Op. 4: Two Romances after Alexander Pushkin and Mikhail Lermontov
**Заклинание (Incantation)
102行目:
 
== 脚注 ==
{[{Reflist}}
 
== 参考文献 ==