「サムイル・フェインベルク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
7行目:
バッハ以外のレパートリーでは、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]を得意とし、録音にも残したが、フェインベルクがとりわけ得意としたのが[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]であった。[[1938年]]にはイザイ国際コンクールの審査員に選出された。
 
== 作 ==
フェインベルクの作品は、3つの[[ピアノ協奏曲]]、12の[[ピアノ・ソナタ]]ならびに数多くの[[ピアノ曲]]がある。また[[民謡]]やチャイコフスキーの交響曲の[[編曲]]も残されている。初期のフェインベルクはスクリャービンに影響され、拡張された曖昧な調性感、大胆な[[転調]]、複雑なリズム書法、ピアノ・ソナタにおける単一楽章制といった特徴を示している。一方でスクリャービンと違って調性音楽の枠組みから離れることをよしとせず、又バッハの影響から、[[対位法]]的な構想も好んでおり、結果的に[[アレクセイ・スタンチンスキー|スタンチンスキー]]にも似通った作風となった。
 
やがて[[スターリニズム|スターリン主義]]の時代が訪れると、かつてのような急進的な楽想は鳴りを潜め、代わって[[社会主義リアリズム]]に同調したかのような、叙事的で懐古的な、大時代的な表現に落ち着いたが、それでも旋律や転調の思いがけない進行に、初期の面影がまだ残っていると見る向きもある一方、同時代の[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]を参考にしたのではないかとする見方もある。二人のピアニストに分担させたピアノ・ソナタ全集はBISから、バッハ作品の編曲はハイペリオン・レーベルから音源が出ている。演奏はかなり難しく、ピアノソナタの単一の演奏者による全集はいまだ完成していない。
 
出版はソ連時代にフェインベルク全集が編纂されたが、この楽譜はソ連以外ではほとんど出回ることがなかった。ソ連崩壊後にロシアへ渡航したピアニストの手でこの全集の写しが持ち出され、ヨーロッパで広く読まれるようになったが、ヨーロッパでフェインベルク作品の出版は頓挫したままである。
 
==主要作品==