「吸血鬼ドラキュラ」の版間の差分

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== 背景 ==
{{出典の明記|date=2016年8月|section=1}}
小説の舞台背景は1885年で、小説が書かれた時代の現代劇であり、当時の価値観からして近代科学技術を織り交ぜながらよりモダンに書かれている。物語は3人称で語られ、全て日記や手紙、電報、新聞記事、[[蓄音機|蝋管式蓄音機]]などによる記述で構成されている。各々の記述者や叙述者の発言によって、徐々にドラキュラの企みが浮上していく構成となっている。
 
ドラキュラのモデルであるとされる[[ヴラド・ツェペシュ]]は統制のために見せしめとして裏切りを行った貴族階級の家臣を、本来は平民への刑罰であり貴族階級には行われない[[串刺し]]刑を行った事から、「串刺し公」と呼ばれた領主ではあった。しかし、当時の社会情勢を考えれば、ヴラド・ツェペシュが他の領主と比べて格別に残忍だったということでもない。ヴラド・ツェペシュに関して吸血鬼に類する記録や伝説、伝承は皆無である。ヴラド家の居城があった[[トランシルバニア]]の地元でも、[[吸血鬼]]伝説はない
 
ドラキュラはルーマニアの出身であるが、小説「ドラキュラ」が[[ルーマニア語]]に初めて翻訳されたのは[[1989年]]の[[ルーマニア革命]]によって共産主義政権が終わった後の[[1990年]]であり、それまでストーカーの原作小説はルーマニアでは発禁書であった。このためルーマニアでは吸血鬼としてのドラキュラの知名度は著しく低かったと推測できる。ヴラド家の居城があった[[トランシルバニア]]の地元でも、[[吸血鬼]]伝説はない。
 
ドラキュラのモデルがヴラドとされていることについては、地元では観光に利用できることを喜ぶ反面、郷土の英雄を怪物扱いすることに対して複雑な気持ちを抱いている。
 
ドラキュラはルーマニアの出身であるが、小説「ドラキュラ」が[[ルーマニア語]]に初めて翻訳されたのは[[1989年]]の[[ルーマニア革命]]によって共産主義政権が終わった後の[[1990年]]であり、それまでストーカーの原作小説はルーマニアでは発禁書であった。このためルーマニアでは吸血鬼としてのドラキュラの知名度は著しく低かったと推測できる。ヴラド家の居城があった[[トランシルバニア]]の地元でも、[[吸血鬼]]伝説はない
{{wikisourcelang|en|Dracula}}
小説の舞台背景は1885年で、小説が書かれた時代の現代劇であり、当時の価値観からして近代科学技術を織り交ぜながらよりモダンに書かれている。物語は3人称で語られ、全て日記や手紙、電報、新聞記事、[[蓄音機|蝋管式蓄音機]]などによる記述で構成されている。各々の記述者や叙述者の発言によって、徐々にドラキュラの企みが浮上していく構成となっている。
 
== 登場人物 ==