「ラオスの歴史」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎ラーオ族前史: 要出典範囲
5行目:
=== ラーオ族前史 ===
{{main|{{仮リンク|有史以前のラオス|en|History of Laos to 1945#Early history}}}}
[[ラーオ族]]による統一国家の出現は[[1353年]]の[[ラーンサーン王国]]であるが、それ以前から[[民族]]としての活動は活発だった<ref>ただし、この頃のラーオ族は[[タイ族]]や[[シャン族]]といったタイ系諸族との種族的、言語的な分化は行われていない状態にあった。ラーンサーン王国建国前のラーオ族のみを切り出して歴史を述べることは非常に困難を極めるため、「ラーオ族前史」の節においてのラーオ族とはタイ系諸族を包括したものであることをあらかじめ記す。</ref>。ラーオ族の発祥は[[アルタイ山脈]]の麓あたりとされており、年代を経るにつれて南下をしていることが分かっている。[[紀元前5000年]]頃にはすでに[[黄河]]や[[揚子江]]の中間あたりまで南下を進めており、{{要出典範囲|[[ゴビ砂漠]]に興った[[漢民族]]|date=2016年8月}}に押し出される形で現在の[[四川省]]近辺に移住し、そこに都市国家([[ムアン]])をつくった。
 
[[紀元前1000年]]頃には[[西安]]の北西にムアン・ルン、現在の[[重慶市|重慶]]の位置にムアン・パー、[[長沙]]近辺にムアン・ギャオという都市国家を作っており、[[周]]の皇帝がムアン・パーに使節を派遣したことなどが記されている<ref>『ラオ族史』- ウカム・ポム・ウォンサー、1958年</ref>。その後[[紀元前853年]]には[[タタール族]]が北方より侵出を始め、ラーオ族はムアン・ルンを破棄しムアン・パーへ移住している。その後周によりムアン・パーも攻撃を受け、ムアン・ギャオへと移った。