「トマス・エイキンズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 29 件をウィキデータ上の (d:Q214905 に転記)
編集の要約なし
22行目:
| website =
}}
'''トマス・エイキンズ'''(Thomas Eakins, [[1844年]][[7月25日]] - [[1916年]][[6月25日]])は[[アメリカ合衆国]]の画家・写真家・彫刻家である。実写主義の画家であり、アメリカ近代美術の父と言われることもある。
 
== 生涯 ==
[[フィラデルフィア]]出身。父親はカリグラフィーの教師で、父親の仕事ぶりを見て育つ。<ref>Amy B. Werbel, ''Thomas Eakins'', Philadelphia Museum of Art, 2001, ISBN 0-87633-142-8, p. 5</ref>[[ペンシルベニア美術アカデミー]]で学び、1864年から65年までジェファーソン・メディカル・カレッジで解剖学を学ぶ。当初は父と同じ職に就くことを考えていたが、科学分野に対する興味から次第に医者になることを考えるようになる。<ref>Canaday, John: "Thomas Eakins; Familiar truths in clear and beautiful language", ''Horizon'', page 96. Volume VI, number 4, Autumn, 1964.</ref>1866年から70年までは[[パリ]]に渡って[[ジャン=レオン・ジェローム]]に師事する。<ref>H. Barbara Weinberg, ''Thomas Eakins'', Philadelphia Museum of Art, 2001, ISBN 0-87633-142-8, p. 15</ref>
 
フィラデルフィアに戻り1878年から母校のペンシルベニア美術アカデミーの教師となるが、彼の考え方は急進的だとされてしばしば攻撃の的となった。美術の授業にヌードモデルを使うべきだと主張、ついに1886年には女生徒に男性ヌードを描かせたとして解雇されてしまう。弟子に[[ジェシー・ウィルコックス・スミス]]がいる
 
リアリズムへの飽くなき追求から、彼は解剖学も学んでいる。1875年には代表作といわれる『[[グロス・クリニック]]』を描くが、解剖のシーンを扱っていたため、議論の的となった。
 
== 作品 ==
[[File:The Thinker- Portrait of Louis N. Kenton.jpg|leftright|200px|thumb|『考える人』(1900)[[メトロポリタン美術館]]]]
[[File:Thomas Eakins 002.jpg|right|200px|thumb|Turning the Stake Boat]]
*Starting Out After Rail [[フィラデルフィア美術館]]
*[[グロス・クリニック]] (1875) フィラデルフィア美術館、[[ペンシルベニア美術アカデミー]]
*スカルの中のマックス・シュミット(1871) [[メトロポリタン美術館]]
*The Biglen Brothers Racing (1873) [[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)]]
*[[深みの水泳]] (1884 - 1885) エーモン・カーター美術館
*Miss Van Buren (1886) フィリップ・コレクション
*Mary Adeline Williams (1899) [[シカゴ美術館]]
44 ⟶ 45行目:
{{Commons|Category:Thomas Eakins|トマス・エイキンズ}}
{{Reflist}}
 
{{artist-stub}}
 
{{デフォルトソート:えいきんす とます}}
51 ⟶ 54行目:
[[Category:1844年生]]
[[Category:1916年没]]
{{artist-stub}}