「ブルー・オイスター・カルト」の版間の差分

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{{Infobox Musician | <!-- See Wikipedia:WikiProject Musicians -->
| Name = ブルー・オイスター・カルト
| Img = AllenlanierBlue Öyster Cult 2012 Edmonton 223.JPG
| Img_capt =カナダ・エドモントン公演 (2012年8月)
| Img_size = 250px<!-- Only for images smaller than 220250 pixels -->
| Landscape = yes
| Background = group_or_band
| Alias = Soft White Underbelly<br />(1967-1971)
| Origin = {{USA}}<br />[[ニューヨーク]]
| Genre = [[ハードロック]]<br />[[ヘヴィメタル]]
|Years_active = 1972[[1967]] - 現在
|Label = [[コロムビア・レコード|コロムビア]]<br />[[ヴァージン・レコード|Caroline]]<br />[[サンクチュアリ・レコード|CMC/サンクチュアリ]]
|Associated_acts =
|URL = [http://www.blueoystercult.com/ blueoystercult.com]
|Current_members = エリック・ブルーム(Vo/G)<br />ドナルド・“ "バック・ダーマ”・" ローザー<br />カシム・サルトン(G)<br />リッチー・カステラーノ(G/Key)<br />カシム・サルトン(B)<br />ジュレス・ラディーノ(Ds)
| Past_members = [[#旧メンバー|以下を参照]]
| Past_members = アラン・レイニア<br />ジョー・ブーチャード<br />アルバート・ブーチャード<br />リック・ダウニー<br />ジミー・ウィルコックス<br />トミー・ズヴォンチェク<br />ダニー・ミランダ<br />チャック・バージ<br />ボビー・ロンディネリ<br />[[ルディ・サーゾ]]
}}
 
'''ブルー・オイスター・カルト'''(Blue Öyster Cult)は、[[アメリカ合衆国]]の[[ハードロック]][[バンド (音楽)|バンド]]。

'''BÖC'''とも省略される。[[1967年]]に結成され、[[ヘヴィメタル]]の源流の一つになったバンドであると考えられている<small>([[ヘヴィメタル#語源]]参照)</small>。代表曲に「(Don't Fear) The Reaper」「[[ゴジラ (ブルー・オイスター・カルトの曲)|Godzilla]]」「Burnin' for You」がある。
 
== 音楽性と活動の変遷 ==
[[File:Blue Oyster Cult 1977 publicity photo.jpg|thumb|240px|rihgt|1977年のラインナップ・ショット]]
[[File:EricBloom.jpg|thumb|160px|rihgt|エリック・ブルーム(Vo/G) 2007年]]
[[File:BuckDharma.jpg|thumb|240px|rihgt|ドナルド・ローザー(G) 2006年]]
[[File:Castellano-endorse.jpg|thumb|240px|rihgt|リッチー・カステラーノ(G/Key) 2009年]]
[[File:Jules Radino.jpg|thumb|240px|rihgt|ジュレス・ラディーノ(Ds) 2008年]]
=== 結成からメジャーデビューまで ===
[[1967年]]、[[:en:Sandy Pearlman|サンディ・パールマン]]が、自作の詩「The Soft Doctrines Of Imaginos(イマジノスの柔らかな経典)」<small>([[#イマジノス]]参照)</small>の世界観を、ロックによって表現するというコンセプトで、協力者アルバート・ブーチャード(B)とともにミュージシャンを集め、[[ニューヨーク市]]の[[ロングアイランド]]で結成された。結成当初のバンド名は「Soft White Underbelly」<ref>lesvegas.com Soft White Underbelly [http://www.lesvegas.com/softwhiteunderbelly.html]</ref>であった。パールマンはマネージメントを担当し、ライブのブッキングやレコード契約を速やかにまとめて彼らを表舞台に送り出したのであるが、バンドに与えたパールマンの影響はそれに留まらず、自作の詩をバンドのオリジナル曲の[[歌詞]]の素材として提供し、バンドが生み出した世界観にも決定的な影響を与えた。
 
[[1968年]]、[[エレクトラ・レコード]]向けにアルバムを制作するが、エレクトラの反応は悪く、アルバムの発売は中止される。一方バンドはシンガーを交替させ、エリック・ブルーム(Vo/G)を迎え入れる。[[1969年]]、バンドは[[フィルモア・イースト]]の舞台に立つが、ステージの評判は今ひとつであった。パールマンはバンド名の変更を決定。「オアハカ」「ストーク・フォレスト・グループ」など短期間にバンド名を入れ替える。結局バンド名が「ブルー・オイスター・カルト」に落ち着いたのは[[1970年]]のことであった。この間に、またいくつかの楽曲をレコーディングしているが、エレクトラはサンプル盤としてシングルを300枚プレスしたに留まった。
 
=== メジャーデビューから活動期 ===
[[1972年]]、[[コロムビア・レコード|コロムビア]]より『Blue Öyster Cult』でデビュー。変形十字のシンボルマークもこの時から使用が開始されている<small>([[#バンド名とシンボルの由来]]参照)</small>。アルバムはビルボード200にチャートインし、[[バーズ]]や[[アリス・クーパー]]、[[マハヴィシュヌ・オーケストラ]]らと盛んにツアーを行って知名度を上げていった。コロムビアレーベルは彼らをアメリカ版[[ブラック・サバス]]として売り出そうと試み、『Tyranny and Mutation』(1973)、『Secret Treaties』(1974)とコンスタントにアルバムをリリースする。
[[File:Hook-and-cross white.svg|thumb|変形十字のシンボルマーク|right|200px]]
[[1972年]]、[[コロムビア・レコード|コロムビア]]より『Blue Öyster Cult』でデビュー。変形十字のシンボルマークもこの時から使用が開始されている<small>([[#バンド名とシンボルの由来]]参照)</small>。アルバムはビルボード200にチャートインし、[[バーズ]]や[[アリス・クーパー]]、[[マハヴィシュヌ・オーケストラ]]らと盛んにツアーを行って知名度を上げていった。コロムビアは彼らをアメリカ版[[ブラック・サバス]]として売り出そうと試み、『Tyranny and Mutation』(1973)、『Secret Treaties』(1974)とコンスタントにアルバムをリリースする。
 
ライブ・アルバム『On your feet or on your knees』(1975)の好調なセールスにより広く知られるようになった。なお、このアルバム題名となっている'On your feet or on your knees!'を冒頭でMCとして叫んでいるのはニューヨーク・パンクの礎の一人でもある[[パティ・スミス]]である。当時としてはLP盤2枚組の高価なセットであったが、N.Y.でのアンダーグラウンド系ロックの記録として未だに評価が高い録音であり、スタジオ録音のB.O.Cとは趣が異なる演奏が聴ける名作である。
次いで代表作ともいえる『Agents of Fortune』(1976)をリリースする。『Agents of Fortune』からのシングル「(Don't Fear) The Reaper」<ref> 日本では、最初シングルA面"Sinful Love(邦題・罪深き恋)"、B面"(Don't Fear) The Reaper(邦題・死神)" で、典型的B面ヒットとなった</ref>が全米12位まで上昇し、アルバムは[[ゴールド・ディスク]]を獲得する。[[1980年代]]のハード・ロック・ブーム以前にこの数字を出したハード・ロック・バンドはさほど多くない。
 
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[[1979年]]、バンドはそれまでの全てのアルバムをプロデュースしていたサンディ・パールマンに代わり、トム・ワーマンを迎えて『Mirrors』(1979)をリリースする。しかし完成したアルバムは重さに欠けるとして不評を買う。続いて、[[マーティン・バーチ]]をプロデューサーに起用してアルバム『Cultösaurus Erectus』(1980)をリリース。マーティン・バーチの起用は、当時ブラック・サバスのマネージメントをも請け負っていたパールマンの引きによるものであった。つまりパールマンはブラック・サバスの『[[ヘヴン&ヘル]]』(1980)のサウンドをブルー・オイスター・カルトに持ち込もうとしたのである。この試みは一定の成果を挙げ、アルバムはイギリスにおいてもヒットする(英チャート18位)。
 
同じくマーティン・バーチのプロデュースした『Fire of Unknown Origin』(1981)では、シングル「Burnin' For You」が全米トップ40入りするヒットとなる。この曲は当初"バック・ダーマ" ローザー(G)のソロ・プロジェクト用に書かれたものであったが(ブルー・オイスター・カルトには合わないと判断された)、パールマンの指示でアルバムに収録されることとなった。また、本作収録の「Veteran of the Psychic Wars」の歌詞は[[マイケル・ムアコック]]が書いたことで知られている。このアルバムに伴うツアーの最中、ドラマーのアルバート・ブーチャード(Ds)が失踪するという事件も発生した。この時に代役となったのは、バンドのライティング担当技師だったリック・ダウニー(Ds)である<ref>リック・ダウニーと[[シン・リジィ]]のドラマーであった[[ブライアン・ダウニー]]に血縁関係は無い</ref>。このツアー音源を元に、ライブ・アルバム『Extraterrestrial Live』(1982)をリリース。アルバート・ブーチャードがドラムを叩いているのは2曲だけで、残りはリック・ダウニーのプレイである。ダウニーはその後正式なドラマーとしてバンドに加入。この頃アルバート・ブーチャードは、バンド結成の発端であり、[[1967年]]に後述するパールマンの創った企画「Imaginosイマジノス」の実現に取り組んでいた。
 
=== 分裂 ===
プロデューサーに[[ブルース・フェアバーン]]をむかえ、『The Revölution by Night』(1983)をリリース。バンドはアルバムの出来に満足していたが、セールス的には前スタジオ作に届かなかった。このアルバムに伴うツアーを終えてリック・ダウニーは脱退。

[[1985年]]、バンドは2週間の西海岸ツアーをブッキングされるがドラマー不在のままだったため、急遽アルバート・ブーチャードを呼び戻してツアーは行われたが、ツアー終了とともにアルバート・ブーチャードは再び離脱。続いてキーボーディストのアラン・レイニア(Key)も脱退してしまう。レーベルとの契約消化のため、バンドは仕方不本意がらの作品『Club Ninja』(1986)をリリース。ドラマ新メンバジミー・ウィルコックス。キーボーディストは(Ds)とトミー・ズヴォンチェク(Key)が加入した。[[スタジアム・ロック]]的でもあるこのアルバムは、そこそこのセールスをあげたものの、以前のブルー・オイスター・カルトを知るファンからの評価は低かった。更に

[[1987年]]ベー加入したウィルコックのジョー・ブーとズヴォンャードもェク(Key)が短期間で脱退。オリジナル・メンバーエリック・ブルームと"バック・ダーマ" ローザーの2人だけとなり、バンドは空中分解する。
 
=== イマジノス ===
[[1988年]]、コンセプト・アルバム『Imaginos』が突如リリースされる。このアルバムの企画は、サンディ・パールマンが、ブルー・オイスター・カルトが結成される前に考えから構想していたもので、そのコンセプトは[[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]]の[[クトゥルフ神話]]をベースにしていたものだったドラマーの3rdアルバート・ブーチャードがム『Secret Treaties』に収録された「Astronomy」と「Subhuman」も実はこのコンセプトに基づき書いた曲でもあった<ref>songfacts.com [http://www.songfacts.com/detail.php?id=2228]</ref>の一部、「Astronomy」と「Subhuman」はアルバム『Secret Treaties』に収録された

アルバート・ブーチャードは、その後も曲を書き続け溜めており、バンドを脱退した[[1982年]]にこの作業に本格的に取り組み、レコーディングを行った。しかしコロムビア・レコード」は、アルバート・ブーチャードのソロ・アルバムとしては、この企画に興味を示さなかったため、パールマンは、エリック・ブルームと"バック・ダーマ" ローザーによる協力を仰ぎ、新たなボーカルと演奏を加え、ゲストプレイヤーに[[ジョー・サトリアーニ]]や[[ロビー・クリーガー]]らを迎え、ブルー・オイスター・カルト名義のアルバムとしてレコリリディングし発表された。

同時に発表された[[スティーヴン・キング]]のナレーションが入ったミュージック・ビデオとともに、[[コンセプト・アルバム]]としての評価を得たものの売り上げは芳しくなく、バンドはコロムビアレーベルのプロモーションがない状態でツアーせざるを得なかった。コロムビア・レコード」がソニーに売却される際、バンドは契約を失ってしまった。
 
=== 1990年代以降 ===
コンセプト・アルバム『Imaginos』以降、バンドは散発的な動きしかみせなかったが、[[1990年代]]後半に「CMCレコード」と契約してからは、活動がまた活発になる。
CMCレコードと契約。[[サイバーパンク]]系SF作家のジョン・シャーリーのコンセプトおよび歌詞提供による『Heaven Forbid』(1998)および『Curse Of The Hidden Mirror』(2001)をリリースするも、以降スタジオ盤のリリースはなく、エリック・ブルームと"バック・ダーマ"・ローザーの2人のオリジナルメンバーを中心にメンバーチェンジを繰り返しながら、主に全盛期の曲をメインとしたライブ活動を行っている。現在は[[ユニバーサル ミュージック グループ|ユニバーサルミュージック]]傘下の[[サンクチュアリ・レコード]]に所属している。
 
[[1998年]]、10年ぶりのアルバム『Heaven Forbid』をリリース。[[サイバーパンク]]系SF作家のジョン・シャーリーのコンセプト、および歌詞提供が話題となった。
その他、1991年にリリースされたライブビデオからの音源で製作された『Live 1976』(1994)。2002年にリリースされたライブDVDからの音源で製作された『A Long Day's Night』(2004)などがある。
 
[[2001年]]にもアルバム『Curse Of The Hidden Mirror』を発表するが、以降スタジオ盤のリリースはない。現在は[[ユニバーサル ミュージック グループ|ユニバーサルミュージック]]傘下の[[サンクチュアリ・レコード]]に所属している。
 
[[2013年]]、創設メンバーの一人 アラン・レイニア(Key)が他界。残されたエリック・ブルームと"バック・ダーマ" ローザーの2人を中心にメンバーチェンジを繰り返しながら、主に全盛期の曲をメインとしたライブ活動を行っている。
 
その他、[[1991年]]にリリースされたライブビデオからの音源で製作された『Live 1976』(1994)。2002年にリリースされたライブDVDからの音源で製作された『A Long Day's Night』(2004)などがある。
 
== バンド名とシンボルの由来==
[[File:Hook-and-cross white.svg|thumb|変形十字のシンボルマーク|right|200px120px]]
バンドを名づけたサンディ・パールマンによれば、ブルー・オイスター・カルトとは、パールマンの詩「イマジノス」で語られる「地球の歴史を監視するエイリアン組織」の名称である。これは"Cully's Stout Beer (カリー黒ビール)"の[[アナグラム]]から造られたとも述べている<ref> [[:en:ZigZag (magazine)|ZigZag Magazine]] #62 (1976.7)</ref>。変形十字のシンボルは、セカンドアルバムまでのジャケットデザインをしたビル・ゴーリックが、錬金術で鉛を表す記号のひとつをもとにデザインした<ref>Internet Sacred Text Archive p.283[http://sacred-texts.com/eso/pnm/pnm92.htm] (参考図版)</ref>。
 
== オリジナル・メンバー ==
*エリック・ブルーム ( Eric Bloom - [[ヴォーカル]]/[[エレクトリックギター|ギター]]/[[キーボード (楽器)|キーボード]] (1969- )
*ドナルド "バック・ダーマ" ローザー (Donald "Buck Dharma" Roeser - [[リードギター]] (1967- )
*リッチー・カステン・レイニアーノ Richie Castellano - ([[リズムギター]]、[[/キーボード (楽器)|キーボード]]2007- )
*ジョーカシムブーチャードサルトン Kasim Sulton - ([[エレクトリックベース|ベース]] (2012- )
*アルバートジュレスラディチャードノ Jules Radino - ([[ドラムセット|ドラムス]] (2004- )
*:他にも一部レパートリーにおいてはエリック以外のメンバーがリード・ヴォーカルをとったこともあり、また「ME 262」をライヴで披露する際、アルバートもギターを持ち出してフォース・ギターの轟音パフォーマンスを行うこともあった。
 
=== 旧メンバー ===
== ディスコグラフィ ==
*アラン・レイニア Allen Lanier - キーボード/ギター/ベース (1967-1985, 1987-2007, 2012) R.I.P.2013
*アルバート・ブーチャード Albert Bouchard - ドラムス (1967-1981, 1985)
*アンドリュー・ウインター Andrew Winters - ベース (1967-1971)
*レス・ブラウンシュタイン Les Braunstein - ボーカル (1967-1969)
*ジョー・ブーチャード Joe Bouchard - ベース (1971-1986)
*リック・ダウニー Rick Downey - ドラムス (1981-1985)
*ジミー・ウィルコックス Jimmy Wilcox - ドラムス (1985-1987)
*トミー・ズヴォンチェク Tommy Zvoncheck - キーボード/ギター (1985-1987)
*ジョン・ロジャース Jon Rogers - ベース (1986–1995)
*ロン・リドル Ron Riddle - ドラムス (1987-1991)
*チャック・バージ Chuck Burgi - ドラムス (1991-1992, 1992-1995, 1996-1997)
*ジョン・ミセリ John Miceli - ドラムス (1992, 1995)
*グレッグ・スミス Greg Smith - ベース (1995)
*ダニー・ミランダ Danny Miranda - ベース (1995-2004)
*ジョン・オライリーJohn O'Reilly - ドラムス (1995-1996)
*ボビー・ロンディネリ Bobby Rondinelli - ドラムス (1997-2004)
*[[ルディ・サーゾ]] Rudy Sarzo - ベース (2007-2012)
 
== ディスコグラフィ ==
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[[Category:アメリカ合衆国のヘヴィメタル・バンド]]
[[Category:サイケデリック・ロック・バンド]]
[[Category:1967年に結成したバンド]]