ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「アロー戦争」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2016年8月7日 (日) 11:24時点における版
編集
Ikhtiyaar
(
会話
|
投稿記録
)
拡張承認された利用者
12,516
回編集
編集の要約なし
← 古い編集
2016年8月25日 (木) 15:31時点における版
編集
取り消し
112.248.6.18
(
会話
)
編集の要約なし
新しい編集 →
14行目:
|}}
'''アロー戦争'''(アローせんそう、[[英語]]
:''Arrow War''
)は、[[1856年]]から[[1860年]]にかけて[[清]]と[[グレートブリテンおよびアイルランド連合王国|イギリス]]・[[フランス]]連合軍との間で起こった[[戦争]]である。最終的に[[北京条約]]で終結し、清の半植民地化が決定的なものとなった。戦争の理由の一つであった中国人による多くの外国人排斥事件の内の象徴的な出来事が'''アロー号事件'''であったためアロー戦争と日本では呼称される場合が多い。戦争が[[阿片戦争|アヘン戦争]]に続いて起きたために'''第二次アヘン戦争'''(''Second Opium War'')とも呼ぶ。
__TOC__