「ヨルダン川西岸地区」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TempuraDON (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Asotaro12 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
42行目:
|備考 =
}}
'''ヨルダン川西岸地区'''(ヨルダンがわせいがんちく、{{Lang-ar|الضفة الغربية}}、{{Lang-he|יהודה ושומרון}})は、[[ヨルダン]]と[[イスラエル]]の間に存在し、現在[[パレスチナ国]]([[パレスチナ自治区]]の一部を形成する[[ヨルダン川]]より西部の地域のこと。欧米などでは単に'''ウェストバンク'''(West Bank, 西岸の意)と表現される事が多い<ref>'''W'''est '''B'''ank、と頭文字を大文字表記して固有名詞扱いにすることで、ヨルダン川西岸地区を特に指す言葉となっている</ref>。
 
== 概説 ==
[[1948年]]の[[第一次中東戦争]]後半に、[[ヨルダン]]によって占領され、[[1950年]]には、ヨルダンから[[エルサレム]]を含む地域を併合という形にされた。同地区は1967年までヨルダンの一部を構成していたが(国際的には認められていなかった)、[[1967年]]の[[第三次中東戦争]]で[[イスラエル]]軍によって占領される。ヨルダンは[[1994年]]領有権を放棄した。現在、同地区はイスラエル軍と[[パレスチナ自治政府]]によって統治され、[[ガザ地区]]と共に[[パレスチナ|パレスチナ自治区]]を形成すているる。
 
一部の人々、とくにイスラエル人の[[入植]]と東エルサレムの併合(ひいては本項の地域も含めた古代ユダヤ人国家の再統一)を支持する人々は、「'''ユダヤ・サマリア'''」と呼ぶことを好む。またフランス語などの[[ロマンス諸語]]では、いわゆるトランスヨルダン(ヨルダン川の向こう側、すなわち現在の[[ヨルダン]])と対比して'''シスヨルダン'''(ヨルダン川のこちら側)と呼ばれる。
54行目:
2010年現在、ヨルダン川西岸地区は統治者によって、3分されている。
 
#A地区…パレスチナ自治政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。2000年現在で面積の17.2%<ref>[http://palestine-heiwa.org/wall/wall.html 特集:アパルトヘイト・ウォール(隔離壁/分離壁):イスラエル:パレスチナ情報センター]</ref><ref>ただし、ユダヤ人入植地及びイスラエル軍基地として占領されている面積は、ここでは含んでいない</ref>
#B地区…パレスチナ自治政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区(警察権は、パレスチナ自治政府と共同の地区も含む)。2000年現在で面積の23.8%
#C地区…イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。2000年現在で面積の59%
 
64行目:
== 東エルサレムの取り扱い ==
{{Main|東エルサレム}}
東エルサレムの現状は、論争の的となっている。東エルサレムは、ヨルダン川西岸地区を形成する一部であるが、イスラエルは東エルサレム併合を宣言しているため、イスラエルはヨルダン川西岸地区の一部としては考えていない。しかしながら、併合は、現在国際的に認められていない。

なお、日本国政府は[[パレスチナ国]]を承認していない(ただし国連におけるオブザーバー国家としての参加には賛成した)ため、日本の地図では、イスラエルとヨルダン間の領土抗争地・未確定領域と扱われることがある(ただし、1994年に結ばれたイスラエルとヨルダンの平和条約ではヨルダンは同地を放棄している為、正確には「イスラエルとヨルダン間の領土抗争地」ではない。「イスラエルの領有権未確定地域」「イスラエルと[[パレスチナ自治政府]]との係争地」である。)。
 
いずれの場合も、その政治的・文化的・人道的な重要性から、ヨルダン川西岸地区とは別個に取り扱われることが多い。一例として[[オスロ合意]]は、他のパレスチナ領域と別個の問題として東エルサレムを取り扱う。