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'''家人'''(けにん)とは、身分のある者の[[家臣]]・従者等を指す用語
== 古代の家人 ==
[[律令]]における[[賤民]]の一つ。[[律令法]]の身分制度により、[[人民]]は良・賤(せん)に二大別されたが、賤民の身分は更に、[[陵戸]]、[[官戸]]、[[家人]](けにん)、公[[奴婢]](ぬひ)、私奴婢の5階層([[五色の賤]])に区別されていた。▼
このうち家人は、[[貴族]]・[[豪族]]などに私有され、その財産として扱われた。奴婢と異なり売買対象にはならなかったほか、戸を構える(家族を持つ)ことも出来たが、姓は無かった。口分田は良民の3分の1を班給されたが、私業を営むことも許され課税されなかった。
▲[[律令]]における[[賤民]]の一つ。[[律令法]]の身分制度により、[[人民]]は良・賤(せん)に二大別されたが、賤民の身分は更に、[[陵戸]]、[[官戸]]、[[家人]](けにん)、公[[奴婢]](ぬひ)、私奴婢の5階層に区別されていた。
== 中世の家人 ==
[[平安時代]]中期以降は、[[貴族]]に仕える家臣・従者等を家人と呼んでいる。平安時代の[[諸大夫]]身分や[[侍]]身分の技能官人層は、[[摂関家]]などの上層貴族に名簿を捧げる等して主従関係を結び、主となった者に武芸や律令知識などの家業とする専門技能で奉仕し([[御恩と奉公|奉公]])、代わりに官職等の利益([[御恩と奉公|御恩]])を得た。有名な例としては、[[藤原忠平]]に武芸をもって家人として仕えた[[平将門]]がある。つまり、朝廷においては官人の身分でありながら、同時に上層貴族の家臣となることで、官人としての地位向上を図ったのである。
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*[[御家人]]
[[Category:奈良時代|けにん]]
[[Category:平安時代|けにん]]
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