「ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ」の版間の差分

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Mig76 (会話 | 投稿記録)
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=== ブラジル運営 ===
カルヴァーリョの商業政策は[[ブラジル]]の農業生産の拡大と、生み出された富を貿易会社によって独占し、国王の支持者らに運営させる点に特色があった。そのためにポルトガルの利益を阻害する[[イギリス]]商人らを規制し、国税を納めなかったイエズス会の資産を没収した。イギリスはポルトガルの友好国であり、その経済活動への妨害は関係の悪化を危惧するところであったが、カルヴァーリョは規制前にイギリス商人らを調査し、政治的影響力の少ない小規模仲買人がほとんどと把握していた。ポルトガルはスペイン、フランス、オランダとの対立の中で、南米の利権をイギリスとの同盟で維持しているだけに、イギリスと明確に対立する政策については慎重だった。一方、イエズス会については当時からすでにイエズス会以外の聖職者から[[拝金主義]]を糾弾されており、宗教界全体の反発には繋がらなかった。カルヴァーリョはイエズス会から剥奪した財産をポルトガル商人に安価で提供し、新たなブルジョワジー層の育成を促した。しかし一方ではこの時に相次いで生まれたブラジルの[[ファゼンダ|大土地所有]]者が自立し、ブラジルの独立意識を高めていくことになる。
 
また、当時のブラジルでは[[リンガ・ジェラール]]と呼ばれる、[[ポルトガル語]]と先住民語の[[クレオール語]]が一般的に使われていたが、カルヴァーリョはリンガ・ジェラールを禁止してポルトガル語化を進めたことも、特筆すべきことである。
 
=== アフリカ運営 ===
ブラジルは次第に自立を志すようになり、カルヴァーリョの努力に関わらずブラジルに対する支配力は年々低下していった。当時のポルトガルは保護商品を高値で独占市場に売りつけるという[[植民地]]運営を行っていたが、ブラジルが豊かになるにつれて消費者がイギリス製品を選択するようになり、ポルトガルは競争に敗れた売れ残り品を大量に抱えるようになっていた。ポルトガルは他に独占的な市場をつくる必要が生じ、[[リスボン]]の商人らはアフリカの[[アンゴラ]]の市場に目をつける。たちまちアンゴラはポルトガル製品の廃棄場となり、ブラジルでの売れ残りが売りつけられ、代わりに奴隷が輸出されていった。ポルトガルはリスボン商人に有利なようにアンゴラのアフリカ商人に規制を加えたが、アンゴラ北部にイギリス人が港を開くと、アフリカ商人たちはポルトガルの規制を嫌い、以後奴隷の供給はイギリスに向けられた。