「マル (トルクメニスタン)」の版間の差分

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[[1884年]]、[[帝政ロシア]]がこの地に侵攻し、[[アフガニスタン]]との間に{{仮リンク|パンジェ紛争|ru|Бой на Кушке|en|Panjdeh Incident}}(''Panjdeh Incident'') を引き起こす。その後、ロシアの軍事拠点として入植が進んだ。[[英印軍]]は[[1918年]]、[[機関銃]]で武装した[[パンジャーブ人]]が主体の中隊を派遣、マル周辺で[[ボルシェビキ]]軍と対峙した。
[[ソビエト連邦]]時代には[[灌漑]]施設が整備され、[[綿花]]産業の中心として発展した。[[1968年]]には、市の西部で[[天然ガス]]が発見された。[[メルブ遺跡]]は市の郊外にある。
 
==経済==
マリはトルクメニスタンで4番目に大きな都市であり、重要な輸出品である天然ガスと綿花生産の中核を担っている。また、綿花、穀物、羊毛の貿易の中心地でもある。
 
== 姉妹都市 ==