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* [[818年]]、みずから具足戒を破棄。『'''山家学生式'''』(さんげがくしょうしき)を定め、天台宗の年分度者は比叡山において大乗戒を受けて菩薩僧となり、12年間山中で修行することを義務づける。
* 南都の僧綱から反駁にこたえて『'''顕戒論'''』を執筆。『'''内証仏法血脈譜'''』を書いて正統性を説く。
* [[822年]][[6月26日]]([[弘仁]]13年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]])、比叡山の中道院で没、享年56(満54歳没)。没後7日目、大乗[[戒壇]]設立は、弟子・光定と、[[藤原冬嗣]]、[[良岑安世]]の斡旋により勅許。
* [[866年]]([[貞観 (日本)|貞観]]8年)、[[清和天皇]]より'''伝教大師'''(でんぎょうだいし)の[[諡|諡号]]が贈られた。日本で初めての[[大師_(僧)|大師号]]である。以後「伝教大師最澄」と称される。