「シュガー・レイ・レナード」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Isbn44 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
28行目:
{{MedalBottom}}
 
'''シュガー・レイ・レナード'''('''Sugar Ray Leonard'''、男性、[[1956年]][[5月17日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[プロボクサー]]。[[サウスカロライナ州]]ウイミルトン生まれ。本名は'''レイ・チャールズ・レナード'''。母親が[[レイ・チャールズ]]のファンだったため命名したもの。のちにボクサーとして活動する際、尊敬する[[シュガー・レイ・ロビンソン]]にあやかって、シュガー・レイを名乗った。
 
[[モハメド・アリ]]が去った米国ボクシング界に颯爽と登場し、デビュー直後からアリの後継者として絶大な人気を獲得。爆発的なスピードと芸術的なテクニック、優れたインテリジェンス、ロビンソンやアリの系譜に連なるスター性を併せ持ち、1970年代後半から1980年代にかけてのボクシング界を代表するスーパースターの座に君臨。「'''[[ヘビー級]]が動くが如く、ボクシングは動く'''」とされたボクシング界の常識を覆して、[[ロベルト・デュラン]]、[[マービン・ハグラー]]、[[トーマス・ハーンズ]]らと歴史的なビッグファイトを繰り広げ「'''黄金の[[ミドル級|ミドル]]'''(中量級)」時代を盛り上げた。
 
== 来歴 ==
 
* [[1976年]]、[[モントリオールオリンピック]]でアンドレス・アルダマ([[キューバ]])を3R判定で下し、[[スーパーライト級|ライトウェルター級]]の金メダルを獲得。一時は引退も考えたが、[[1977年]]にプロデビュー。
* [[1979年]]11月30日、無敗のまま[[ウィルフレド・ベニテス]]から15RTKOで[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ウェルター級]]タイトルを獲得。
 
* [[1980年]]6月20日、[[ロベルト・デュラン]]に判定負けで王座から陥落するとともに、プロ初黒星を喫した。
* [[1979年]]11月30日、無敗のまま[[ウィルフレド・ベニテス]]から15RTKOで[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ウェルター級]]タイトルを獲得。
* 1980年11月25日、ロベルト・デュランと再戦し、9回TKO勝ちで王座を奪回。
 
* [[1981年]]6月25日、[[アユブ・カルレ]]から[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーウェルター級]]タイトルを獲得し2階級制覇を達成するが、タイトル返上。
* [[1980年]]6月20日、[[ロベルト・デュラン]]に判定負けで王座から陥落するとともに、プロ初黒星を喫した。
* [[1981年]]9月16日、後にレナードと共に5階級制覇を遂げるWBA王者[[トーマス・ハーンズ]]とのウェルター級王座統一戦で、序盤はハーンズにペースを握られるが14回に逆転TKO勝ち。WBAとWBCの王座を統一する。試合後に[[網膜剥離]]が発覚。
 
* [[1982年]]11月、引退を発表。
* 1980年11月25日、ロベルト・デュランと再戦し、9回TKO勝ちで王座を奪回。
* [[1986年]]3月10日、[[マービン・ハグラー]]対[[ジョン・ムガビ]]の解説をしていたレナードは当時最強のチャンピオンといわれたハグラーに勝てると確信し、現役復帰を決意する。
 
* [[1987年]]4月6日、ハグラーに挑戦し僅差の判定勝ちでWBC世界[[ミドル級]]タイトルを獲得。3階級制覇を達成する。
* [[1981年]]6月25日、[[アユブ・カルレ]]から[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーウェルター級]]タイトルを獲得し2階級制覇を達成するが、タイトル返上。
* [[1988年]]11月7日、WBC世界ライトヘビー級王者[[ドン・ラロンデ]]と168ポンドの[[キャッチウェイト]]で対戦、9回TKO勝ちで新設されたWBC世界[[スーパーミドル級]]、[[ライトヘビー級]]の2階級の王座を同時に獲得。同月4日に達成したハーンズに続く2人目の主要団体での5階級制覇を達成した。しかし、これはライトヘビー級王者のラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級王座も賭けられるという、極めて異例の試合だったため、レナードの5階級制覇には懐疑的な意見もある。
 
* [[1989年]]6月12日、WBO世界スーパーミドル級王者トーマス・ハーンズとの王座統一戦で引き分け。
* [[1981年]]9月16日、後にレナードと共に5階級制覇を遂げるWBA王者[[トーマス・ハーンズ]]とのウェルター級王座統一戦で、序盤はハーンズにペースを握られるが14回に逆転TKO勝ち。WBAとWBCの王座を統一する。試合後に[[網膜剥離]]が発覚。
* 1989年12月7日、ロベルト・デュランに判定勝ちし、WBC世界スーパーミドル級王座を防衛。
 
* [[1991年]]2月9日、WBC世界[[スーパーウェルター級]]タイトル戦で王者[[テリー・ノリス]]に12回判定負けを喫した。試合後のリング上で引退を表明した。
* [[1982年]]11月、引退を発表。
* [[1997年]]3月1日、[[国際ボクシング評議会|IBC]]世界ミドル級タイトル戦で6年ぶりに現役復帰。[[ヘクター・カマチョ]]に5RTKO負けを喫し、引退した。
 
* [[1986年]]3月10日、[[マービン・ハグラー]]対[[ジョン・ムガビ]]の解説をしていたレナードは当時最強のチャンピオンといわれたハグラーに勝てると確信し、現役復帰を決意する。
 
* [[1987年]]4月6日、ハグラーに挑戦し僅差の判定勝ちでWBC世界[[ミドル級]]タイトルを獲得。3階級制覇を達成する。
 
* [[1988年]]11月7日、WBC世界ライトヘビー級王者[[ドン・ラロンデ]]と168ポンドの[[キャッチウェイト]]で対戦、9回TKO勝ちで新設されたWBC世界[[スーパーミドル級]]、[[ライトヘビー級]]の2階級の王座を同時に獲得。同月4日に達成したハーンズに続く2人目の主要団体での5階級制覇を達成した。しかし、これはライトヘビー級王者のラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級王座も賭けられるという、極めて異例の試合だったため、レナードの5階級制覇には懐疑的な意見もある。
 
* [[1989年]]6月12日、WBO世界スーパーミドル級王者トーマス・ハーンズとの王座統一戦で引き分け。
 
* 1989年12月7日、ロベルト・デュランに判定勝ちし、WBC世界スーパーミドル級王座を防衛。
 
* [[1991年]]2月9日、WBC世界[[スーパーウェルター級]]タイトル戦で王者[[テリー・ノリス]]に12回判定負けを喫した。試合後のリング上で引退を表明した。
 
* [[1997年]]3月1日、[[国際ボクシング評議会|IBC]]世界ミドル級タイトル戦で6年ぶりに現役復帰。[[ヘクター・カマチョ]]に5RTKO5回TKO負けを喫し、引退した。
 
== 引退後 ==
67 ⟶ 81行目:
* 第11代[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ウェルター級]]王座
* 第13代WBC世界ウェルター級王座
* 第6511代[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ウェルター級王座
* 第19代WBA世界[[スーパーウェルター級]]王座
* 第16代WBC世界[[ミドル級]]王座
78 ⟶ 92行目:
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[男子ボクサー一覧]]
93 ⟶ 108行目:
{{Championshiptitle|第11代|[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ウェルター級]]|ウィルフレド・ベニテス|ロベルト・デュラン|1979年11月30日 - 1980年6月20日}}
{{Championshiptitle次空|第13代|[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ウェルター級]]|ロベルト・デュラン|ミルトン・マクローリー|1980年11月25日 - 1982年(返上)}}
{{Championshiptitle次空|第19代|[[世界ボクシング協会|WBA]]|世界[[スーパーウェルター級|ジュニアミドル級]]|アユブ・カルレ|三原正|1981年6月25日 - 1981年(返上)}}
{{Championshiptitle次空|第6511代|[[世界ボクシング協会|WBA]]|世界[[ウェルター級]]|トーマス・ハーンズ|ドナルド・カリー|1981年9月16日 - 1982年11月9日(返上)}}
{{Championshiptitle次空|第16代|[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ミドル級]]|マービン・ハグラー|トーマス・ハーンズ|1987年4月6日 - 1987年(返上)}}
{{Championshiptitle次空|第17代|[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ライトヘビー級]]|ドニー・ラロンド|デニス・アンドリュース|1988年11月7日 - 1989年1月10日(返上)}}